地域の小さな神社ですが、近所のご家族、学生さんくら...
長い階段があります。
車で上までいけますが、神社に入る入り口が急斜面です。
社務所の横にトイレありました。
境内に鐘が設置されており、鐘をつくことが出来ます。
岡崎神社の風貌もとても歴史感があり、とても心が洗われる場になっていると感じます。
子供が遊べるように遊具等も設置されているので子供と一緒に行っても遊べます。
駐車場があるかは知らないですが、空気がおいしいので近くまで行く際は行くことをオススメします。
何か不思議な体験をした所でした。
小さいながらも綺麗な神社でした。
落ち着けて良いところでした。
正月,どうだった?
たまに、ウォーキング中に前を通りますが、おじいさん、おばあさんが合掌しているのを見かけます。
神社なんで、こんな気持ちは大切だと思います。
富士山が見える。
駐車場は少ないのでバスがおすすめ。
ここは新年のお参りに行きましたが、地域の小さな神社ですが、近所のご家族、学生さんくらいかな。
(^_^)でも私は大きな神社よりこじんまりした方が愛着がわきますね☺️
お祭りが楽シです。
テンドコテンテン!
よい雰囲気です。
お祭りにいきました!
ご祭神は大山咋命 ( おおやまくいのみこと )猿田彦命 ( さるたひこのみこと )須佐之男命 ( すさのおのみこと )応神天皇 ( おうじんてんのう )大物主命 ( おおものぬしのみこと )菅原道真 ( すがわらみちざね )平塚市四之宮4-14-26の前鳥神社の兼務社。
ひと山向こうに、岡崎城下があり、有名な、岡崎一族がおり、城もあったので、この神社は、立派です。
平塚市岡崎に〔岡崎神社〕がある(公民館のそば)。
芭蕉句碑があるというので訪ねたが、みつからない。
ちょうど地元の人もこられたので聞いてみるが、ここにはないとのこと。
いったん立ち去ったが、どうも気になったので戻り、大きな碑の上部に句が刻まれていることに気が付いた。
此のあたり目に見ゆるもの皆すゝし 明治22年(1889)の建立、高さ1.5メートルの碑。
矢崎城址 とのこと。
遺構は無い。
名前 |
岡崎神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0463-58-1902 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=765&cd=1209208&scd=&npg=1 |
評価 |
4.0 |
岡崎の地は、平塚であったり伊勢原であったりと大分入り組んでいるようで面倒な地域と思った。
新編相模風土記稿が通常でない程長く説明文があるほどに、江戸の頃には興味のそそる神社の一つであったと思われる。
弘法大師が勧請に係り、この地域での活躍した武将等々の名が見えたり、なかなかに派手な歴史を持っているようである。
大同年間、西暦800年頃にはこの地域も発展していたと思われ、相当古くから人が住んでいたと思われる。
____________________❶【参考 神奈川県神社誌 1981年】岡崎神社 (1981年の岡崎神社の紹介文となる)創立年月は不詳であるが、大同(だいどう)年間(806年~810年)の創祀という 言い伝えが残っている。
治承の時(1177年~1181年)は岡崎義実(よしざね)が当社を崇敬したという。
明応3年(1494年)には、三浦道寸(どうすん)社殿の造営をした寛永15年(1638年)大きな釣り鐘を鋳造した[名称の変化]明治維新(1868年)を経て、山王社 を 岡崎日吉神社 と改めた。
明治41年(1908年)雑社を合祀して、岡崎日吉神社から 岡崎神社 と改称した。
[鎮座地] 平塚市岡崎字山王久保3650[祭神] 大山咋神(おおやまくいのかみ・丘陵の守護神)猿田彦命(さるたひこのみこと・道開きの神)素戔嗚命(すさのおのみこと・防疫の神)応神天皇 大物主命 菅原道真_____________________このあたり7村の総鎮守であったようで、この地を代表する神社であったようだ。
弘法大師にはじまり、恵心、そしてすぐそこにある岡崎城の城主、岡崎義實(よしざね)や、三浦道寸の名前まで見える。
❷【参考 新編相模風土記稿 1830年】山王社 (江戸時代のこの神社の紹介文となる)岡崎郷7村の総領守である。
[神体]鏡7面を神体とする。
鏡面に神仏の像がある。
あわせて21体ある。
7面の一つには、享禄4年(1531年)と彫ってある。
其の他は後世のものである。
[本地仏]本地仏といわれる木像1体を安置している。
この仏像、その形が仏像に見えない。
昔のこの神社の神体であったのだろうか。
古色なればその図絵、末に出しておく(図絵は省略します)[沿革]当社は弘法大師が入唐の時、白衣の道人より鏡7面を得た。
弘法大師が帰朝の後、大同年中(806年~810年)その鏡を神体として勧請したという。
その後、恵心(えしん)が社の傍らに一宇を建立して天台の法窟(ほうくつ)とした。
今の別当寺がこれである。
治承の頃(1177年~1181年)岡崎義實(よしざね)が当社を尊信して、しばしば霊験を得たという。
明応3年(1494年)三浦義同入道寸が造営をする。
これは縁起にかいてある。
とある。
ただし、この縁起は道寸の要請によって明徳3年5月に書かれたと云われるが、其の頃に書かれたものとは思えない。
それゆえにその文は省いた、とある。
[例祭日およびそのた]四月中の申(さる)日、および7月28日、9月9日神事がある。
△神楽殿△鐘楼寛永15年の鐘をかけている。
銘文がかすれてはっきりせず、なおかつ、考証に益がないので省略する、とある。
△ 末社日吉山王 稲荷 天神△ 別当寶行寺[鎮座地] 西海村。