静寂漂う十二所神社。
十二所神社の特徴
静かな山の集落に佇む、12の神々が祀られた神社です。
西岸良平の鎌倉物語があしらわれた看板が目印の、歴史ある神社です。
鎌倉駅から徒歩1分、地元密着の雰囲気で心休まる境内です。
小さくひっそりと佇んでる可愛い神社でした。
読みは「じゅうにそう」なのだが、ここが由来の周辺の住所は「じゅうにそ」と読む。
その理由が不明なのは面白い話である。
兎の蟇股は躍動感が出ており見事だと思う。
境内社の全てに解説があるのは有り難い。
googleマップを見たとき、神社の入口はどこなんだろうと思いましたが、十二所神社バス停を降りると神社が目の前に見えて、道なりに歩けば迷うことなくたどり着きました。
今日は、地元の方が集まって、正月飾りや古いしめ縄などを燃やしているところでした(どんど焼き?お焚き上げ?)。
こころ和む、のどかな風景です。
先日、甘縄神明宮をお参りをして、八雲神社で御朱印を頂いた際、十二所神社の御朱印も八雲神社で頂けると知り、十二所神社って、どんなところなのか興味が湧きました。
(十二所って、じゅうにそorじゅうにそう って読むのですね)調べたところ、社殿軒下にうさぎが彫刻されていると知り、これは今年の干支にちなんで、ぜひお参りせねばと、さっそく出かけることにしました。
(波と飛び跳ねる兎の躍動感が素晴らしい!)相模風土記によると、光触寺の境内にあった「熊野権現社」が前身で、江戸末期に現在の場所に移転、明治維新の際に、十二所神社と改名されたとのことです。
境内には、土地ごとに、そこを守護するという「地主神」、山を支配するという「山の神」、山の石を削ったところに、「疱瘡神」と「宇佐八幡」が祀られていました。
昔は疫病が流行れば神様にお願いする、お怒りを鎮めて頂くしかなかったのでしょうね。
今ではワクチンや治療薬がありますが、それにしても新型コロナは手強い!神頼みもしてみたくなりますね。
古く静かで厳かな神社です。
住宅地の直ぐ横から境内に続く急な階段が出現します。
道路を挟んだ向かい側には朝夷奈切通の入口があります。
質素な感じ。
手入れがされている。
バス停と蕎麦屋が近い。
本殿の左奥からハイキングコースになっているようだ。
ひなびた神社ですが西暦800年台の歴史が有るようです❗銀杏が綺麗です。
静かなところで気持ちも厳かになります。
ごく普通のバス停。
バス接近情報表示システムも無い。
ただ、電話ボックスがある。
天つ神7柱と国つ神5柱をお祀りしている無人神社。
弘安元年(1278)の創建と伝えられますが、由緒等は不明です。
元は現在の光触寺境内にあったと伝えられますが、天保9年(1838)に現在地に再建されました。
有り難く、大町の八雲神社にて御朱印を頂きました。
実家、本家のある村❗️鎮守様‼️
祭神は天神7柱、地神5柱の12神で十二所 熊野十二所権現社には八咫烏の彫刻では無く二羽の兎が彫られています。
鎌倉八雲神社で十二所神社の御朱印をいただけます。
2.十二所神社 鎌倉 アクセス:鎌倉駅から金沢八景・大刀洗行バス「十二所神社」下車徒歩1分鎌倉十二所神社の歴史 十二所神社は、光触寺の境内にあったという熊野十二所権現の社が前身とされ、江戸時代末に明王院住職の村人への呼びかけによって、天保9年(1838年)現在の地に新社殿が建立されたと伝えられている。
明治の神仏分離によって「十二所神社」と改名された。
十二所(じゅうにそ)という地名は、熊野十二所権現の社があったことから付いた地名と伝えられる。
「権現」とは、仏教と神道が混ざり合う中で生まれた「本地垂迹思想」の考え方で、“権”は“仮の”という意味を表します。
すなわち“仏が仮の姿で現れた”のが、神道の神様であるという考え方です。
有名な寺社が多い鎌倉なので、残念ながら目立たない存在。
街道脇の山の端にひっそりと佇んでいます。
小さめの階段を登り、狭い鎌倉特有の崖を削って作ったそれほど広くないひな壇に、地元に人に大事に管理されている本殿が建っています。
本殿の軒下に2柱の兎が跳ねている彫刻あります。
兎神は、疱瘡神と一緒に祀られることが、日本海側の神社で事例が多くあります。
(因幡の素兎伝説で、皮を剥がれても治ったことから、疱瘡(天然痘)の脅威から守ってくれる、と言われていたらしい)。
***「波に兎」:本殿の軒下に2柱の兎が跳ねている彫刻についての考察***「波に兎」は、江戸中期に庶民も広く愛好したことが知られる瑞祥文様である。
謡曲「竹生島」の歌詞にも、『月の兎は、水に映った月の中で波の上を跳ねる』とある。
東北関・九州・近畿、各地の寺社の彫刻に「波に兎」の意匠が見られるが、因幡地方には特に集中している。
兎神~月の兎(つきのうさぎ)は、「月に兎がいる」という伝承にまつわる伝説~月の影の模様が兎に見えることから、「月には兎がいる」という伝承は、日本をはじめ中国などアジア各地で古くからいわれている。
また、兎の横に見える影は臼(うす)であるともされる。
この臼については、中国では不老不死の薬の材料を手杵で打って粉にしているとされ、日本では餅をついている姿とされている。
*月夜見命(月読尊/ツキヨミノミコト)・光兎大神(光兎大権現)古事記や日本書記に記される由緒から、・神話にちなみ、皮膚病ややけどなどに効く神社として信仰されています。
・神話に登場する大国主と八上姫の縁結びの神様として、白うさぎが信仰されています。
・神話にちなみ、福徳と智慧の神様として信仰されています。
また、月の満ち欠けから不死の恵みを授ける神様としても、信仰されています。
●安全の神家内安全・攘災招福,●生命の神身体健康・病気平癒・安産・良縁,●繁栄の神五穀豊穣,●学問の神学業成就,祭神は、天神七代と地神五代。
合わせて“12”代です。
天神七代・国之常立神(くにのとこたちのかみ)・豊雲野神(とよくもののかみ)・宇比地邇神・須比知邇神(うひぢにのかみ・すひぢにのかみ)・角杙神・活杙神(つのぐひのかみ・いくぐひのかみ)・意富斗能地神・大斗乃弁神(おほとのぢのかみ・おほとのべのかみ)・淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神(おもだるのかみ・あやかしこねのかみ)・伊邪那岐神・伊邪那美神(いざなぎのかみ・いざなみのかみ)地神五代・天照大御神(あまてらすおおみかみ)・天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)・彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)・彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)・鵜苅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと) ≪注意≫御朱印は十二所神社で頂けません。
御朱印は、十二所神社ではなく大町にある八雲神社で頂きす。
落ち着いた歴史ある神社の1つ、読み方は、じゅうにそう神社、自然が感じられる場所。
自家用車で鎌倉に向かうなら朝比奈から入り一番手に、場所的に、此方に立ち寄るのが良いかなと思います。
バスなら鎌倉駅から金沢八景行きでと、他は、なに行きかも出て居るかと思いますので、わからない場合は、駅前にて、聞いて見て下さいね。
このエリア徒歩数件巡る場所が有ります。
検索してみて下さい。
静かな雰囲気の神社で常駐はしてらっしゃらないとのこと。
御朱印は鎌倉市大町の八雲神社でいただけますから注意。
1278年(弘安元年)創建と伝承にあるが定かでない。
元は近くの光触寺境内にあったと伝わり、1838年(天保9年)現在地に映る。
この地区・十二所の鎮守として村社に列せられる。
県道から少し入った静かな場所。
背面の崖にある祠に重々しさを感じる。
切通しのついでに立ち寄った。
ごく普通の落ち着いた神社だが、境内の片隅にやぐらが有る。
静か。
無人。
心休まる境内です。
十二所神社の御朱印は八雲神社で頂くことが出来ます。
鎌倉からお散歩して30分ほどですが歩くの苦手な方は鎌24金沢八景行きのバスをご利用を(=゚ω゚)ノバス停の前から徒歩2分弱な所なので迷子にはならないと思うのね。
十二所地区の氏神様です。
神社の向かいに民家ができる前は神社から県道が見渡せて、とても長閑な風景でした…お社と背後の鎌倉石に彫られた祠に時代を感じますね…
お社に町内会のお知らせが貼ってあり地元密着って感じがする雰囲気の良い神社です!
お社に町内会のお知らせが貼ってあり地元密着って感じがする雰囲気の良い神社です!
名前 |
十二所神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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2024年4月7日午後、参拝鎌倉市の市街地からシェアサイクルに乗り東へ、滑川沿いにひたすら坂を登ると十二所へ到着すると十二所の案内板があったけどそちらは大好きな西岸良平の鎌倉物語があしらわれた看板で十二所は物語でも鎌倉の秘境として出てくるのを思い出しやしたよ☆さて看板の近くには十二所神社があり参拝しやしたよ崖に面した神社で境内は誰もおらず静かでしたなあ⛩本殿向かって右には崖をくり抜いた穴に山の神と疱瘡神谷町が祀られておりええ感じでしたとても長閑な山の集落の氏神様という感じでええ神社やったさあ☆