神社とお寺を創建したのが始まりと言われています。
桜の季節に参拝。
古代寺院跡の塔中礎石をみる。
整備され過ぎていて、昔の方が寂寥観あってよかったと同伴者がいう。
昔は うっそうとした森でしたが 今は キレイになって 散歩コースにしています。
父親が 手術の時 母が百済神社で お百度参りをして 手術が 大成功しました。
「百濟王」と書いて「くだらのこきにし」と読むそうです。
百済の王族「扶余氏」が、人質として来たとの話があり、「百済王氏」の氏神となっています。
枚方市駅から程近い「宮之阪」を上った段丘上に「百済寺」と共に創建されていた。
今は神社だけが残ります。
神社自体は小さいけど、隣に百済寺の跡?や、昔の本殿?跡がある。
道挟んで向かいが(小さい道は無視しての話やで)大阪精神医療センター?で、1号線と京阪枚方を隔てる山の頂上にある感じ。
城的にも使ったんだろうか、は知らんけど、そういうのに良い感じの立地→今は眺めが良いってだけだけど。
飛鳥時代に百済から亡命してきた百済王を祀る神社です。
とにかく立派な神社です。
以前の姿を私は知らないので比較出来ませんが、私はこちらはとても綺麗で気持ちの良い神社だなーと感じました!私は御殿山から歩いてきましたが、Googleナビでは百済寺跡で案内をストップされました。
境内が見えたので迷うことなく辿り着きましたが、本来なら宮之阪駅からが1番近いですね!そして、鳥居が見えてくるのですぐ分かりますね!に、しても百済寺跡は地元に愛されているんぁなーと思います。
家族連れやわんちゃんのお散歩など、多くのひとが利用していました😍こういうことはとても大切ですね!でも、旧拝殿は全然人気がなく、ちょっとかわいそう。
😅まぁ、確かに遊びにくいですね。
でも、お散歩のワンチャンが階段を登っていました😝こちらはとっても綺麗ですよ!あまりにも綺麗なので拝殿に顔を突っ込み覗き込んでしまいました!拝殿の前の灯籠は、鹿と兎が掘ってありました。
これは何か理由があるんでしょうね。
私はむしろ、そこが気になります。
教えてほしい。
あと、だんじりを仕舞ってる倉庫も境内にあります。
お祭りで見てみたいですね!こちらのご祭神は、百済国王らしいですが、日本古来の神様らしいですよ。
須佐之男命(須佐之男命、素戔嗚尊)も祀られているらしいです。
こちらでは、牛頭天王と言われています。
祇園祭りの起源にもなったらしいです。
あらゆる災厄除けに対応してくださるみたいなので、今、コロナ自粛で大変な時ですが、こちらにお参りされてはいかがでしょうか?私はもちろん、お願いをしておきました!あと、末社が幾つかあるらしいのですが、私は全然気がつかず、 浮島神社しか見つれませんでした💦雨乞いの神様らしいですが、それに伴う田畑の豊かさを司る神様だそうです。
ご祭神は高龗神(たかおかみのかみ)です。
確かに、拝殿の左側にはお水がありますね。
手を洗う為のだと思いますが。
こちらに来たら、旧拝殿も歩いてみてくださいね!とっても綺麗に整備されています。
小さい時はこういう跡を見ても全く理解できなかったんですが、今となれば何となくイメージが出来、ちょっとわくわくしちゃいます♡
綺麗に管理されています。
隣の百済寺から入りました。
トイレもあって便利。
馬のブロンズ像が迫力がある。
奈良時代に百済王の末裔がこの地に移り住み、神社とお寺を創建したのが始まりと言われています。
興福寺・春日大社との関係が深く、百済王神社の朱色の社殿は、江戸後期の春日大社建替えの際に、下賜されたもの。
拝殿は平成に入り建て替えられたもので、古い拝殿はその手前に移築されています。
渡来系の流れを持つ神社です。
枚方市の東部にも王仁公園という渡来系のお墓がありこの地域でそう言う文化があったのでしょうか。
年に1回だけど愛犬と初詣に参らせてもらってます。
愛犬を抱っこをしてるせいか何も言われたことはないです。
巫女さん達に笑顔があればイイのにね!って毎年思っています。
昔、この神社の隣に百済寺があり、今は大きな広場として残っています。
百済王神社は、百済最後の王である義慈王の子である善光を始祖とする日本の氏族を祀った神社です。
境内には若宮社稲荷社など多くの神さまがおられます。
京阪枚方市駅南口から京阪バスに乗って中宮下車すぐです。
大きな鳥居があるので、迷わずに行けます。
御朱印、駐車場無料。
駐車場は大きな鳥居をくぐった奥です。
百済王神社くだらおうじんじゃt大阪府枚方市中宮西之町1-68祭神t百濟王牛頭天王百済滅亡後日本に残留した百済王族・善光は朝廷から百済王(くだらのこにきし)の姓を賜る善光始め一族は東北経営に手腕を発揮東北まで落ち延びた「蝦夷」の人々には大迷惑でしょうが中央神祇官は式内社の位を与えていないさすが国粋主義。
百済は七世紀後半に滅んだ国です。
復興運動には日本からも多くの援軍が送られたことは歴史の教科書にある通りです。
白村江で唐・新羅連合軍に壊滅的な敗北を喫した後、多くの百済人が日本に逃れて来ました。
ですがこれは現代の難民とはちょっと違います。
王室に関わる人々が多かったのです。
元々日本と百済の王室には縁戚関係があり、以前から請われて渡来する人もいました。
国を亡くした百済人を受け入れる下地があったのです。
韓国の時代劇ではこの時代を描いたものがいくつかあるのですが、残念ながら日本の大河ドラマでは平清盛くらいまでが精一杯。
百済人がどう日本に溶け込み生きていったのか、そういうドラマ見てみたいものです。
古代史ファンとしてそんな思いが湧いて来る神社です。
この神社で一番感心したのは本殿です。
拝殿の脇から裏へ回るとほぼ全体像が見えます。
塀に隠れて屋根しか見えない神社が多い中でこれは嬉しいです。
見事な造り、実に立派な社殿です。
帰り際に神社の説明板を読むと奈良春日大社の本殿を移築したものとか。
納得です。
これだけでもお参りに来た甲斐がありました。
森になっていたところが綺麗に伐採されて遺跡の跡が綺麗にされています。
百済王神社と字が違いますが、別の神社なのでしょうか?検索すると字違いで二つの口コミがあります。
住所は同じなので多分一緒なのでしょうが。
駐車場はそれほど広くないが、さほど待つことなく停められる。
今年の初詣では露店が出てなかった。
最近森になっていた木が全て伐採されました。
スッキリしましたがなんだか殺風景ですね~発掘調査もされていますしその関係ですかね。
神社は昔からけっこうとても綺麗です。
受付の方もとても感じがいいです。
中宮の百済王神社から勧請された神社拝殿が骨組みだけになってますが、どなたかが定期的に綺麗にしてるようです。
名前 |
百濟王神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-840-2624 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
百済から王子様がお二人来られてたんですね。
古代史で昔の豪族の先祖説ありますね、お兄さんの話ばかりでてきますが、弟さんに難波に土地をあげたってちょっと気になります。
大阪城の隣りに難波宮があった頃でしょうか、もちろんその頃に大阪城は出来てないですが、牛頭天王をおまつりしているのも何か理由があるんですかね、枚方には樟葉宮もあったようですし、まだ中央政権がしっかりと整っておらず豪族が覇権争いしていた時代のお話でしょうか。
大阪医療センターの方の鳥居⛩をから行くと駐車場あります。