お花畑と残雪の山々が見渡せる静かな山城。
独立大名、北信濃の猛将坂城の村上義清。
正室は信濃守護小笠原長棟の娘。
小笠原長時の義理の弟。
武田信玄に二勝一敗と勝ち越している。
最後に武田信玄に敗れ、越後の上杉謙信を頼り、謙信の家臣となり、元亀4年(1573年)1月1日、越後根知城にて病死した。
享年73歳。
仇敵・武田信玄の死の5ヶ月前であった。
日滝寺に葬られたというが、その墓所については根知城跡根小屋の安福寺とも言云われている。
長野県坂城町田町の出浦家墓所中には後年(天正4年、慶長4年、没後百年など数説あり)分骨されたという墓所が残る。
勝頼が、お館の乱で景勝に味方した見返りに得た城ですな。
それで北条と不仲になり、結果的に武田家滅亡を早めてしまった、いわくつきの城。
当時は日本海が表ルートだったため、日本海への出口が欲しかったんでしょうなあ。
海のほしいイラクが、クエートに侵攻した感じなのかな。
某戦国ゲームで魚津から春日山或いは反対ヘ行軍する時に、腰兵糧が心配になる時に立ち寄りたくなる城...ですが、実際はかなり急斜面で立ち寄るとクタクタになってしまう。
そんな感じの城跡です。
グーグルマップだと国道の何も無い所に連れて行かれますので、根知川の交差点を曲がり、勝蓮寺を目的地に行かれると良いです。
勝蓮寺を少し過ぎると根知城址の碑が有るのでその向かい側に駐車スペース?が有りました。
私が登った時は、整備後かなり経っているのか、登り口からいきなり雑草がかなり生い茂っていましたが、先人の登山された方々が踏みしめた獣道のような山道をひたすら登り約25分ほどで、地蔵の館なる建物のある場所に到着。
此処が根小屋城跡?館を左手に見ながら通り過ぎ、更に先へ約15分ほどで山頂とみられる場所に到着しましたが、胸の高さ迄生い茂る雑草で、なかなか雰囲気を味わう事も出来ず。
下りは同じ道を通る事にしましたが、雨上がりの翌日だと思いますが、かなり急斜面、片べりな小径なので、それなりの装備で来られることをお勧めします。
城址碑に立て掛けて有ったストックを持って来ればと後悔する位、スリルのある下山です。
その意味では一番手強い山城でしたかね?
お花畑と残雪の山々が見渡せる静かな山城。
根知城は、越後と信濃の国境に位置し、根小屋地区の城山(525m)中腹の根小屋城を中心として、山頂にある詰城の上城山城と栗山城からなる。
三城の中で中心的な役割を果たしていた根小屋城は、城山の標高320mに位置する戦国時代の典型的な山城。
当地方でも最大の規模を誇る根知城は、信濃の国に対する越後側の最前線基地として重要な役割を担った。
武田信玄に信濃を追われた村上義清が元亀4年(1573)に没した城でもある。
名前 |
根知城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
025-552-1511 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
標高 (上城山城)525m、(根古屋城)374m、(栗山城)172m3ヶ所で「根知城」と言うらしい栗山城の登城口に説明板があった尾根が他の2つと違う栗山城は別に登ることになる林道脇から入ると広い削平地、堀跡があった♪...草むらの中に😅根古屋城 は勝蓮寺の奥に登城口があって立派な石碑が建ってる😮ズンズン登ると尾根上に郭群があったちょっと下がると堀切♪登るとスゴイ切岸面♪の殿屋敷さらに登ると三角型の建物😶2つ奥には堀切♪さらにさらに登れば眺めの良い主郭食違いの虎口♪かな?背後に土塁♪そして虎ロープのある堀切..イヤ崖😨そして連続堀切♪夏(22/8)は草に覆われて登りにくい雨🌧️がひどくなってきて退却~ε=ヾ(。・Д・)ノ スタコラサッサ~上城山城は..また次回➰🤭