余り目立たないけど❗落ち着きがありいつも通り静かな...
群馬県管下上野国新田郡高林村字本郷 村社 高林神社御祭神豊宇気毘売神 倉稻魂命 誉田別命 素戔嗚命 姫三柱命 市寸島姫命 豊城入彦命 伊弉岐命 伊弉冉命 入彦名命 速進雄命 菅原道真公 日本武尊命 大名字持命 熊野忍蹈命 建御名方命 国常立命由来勧請・縁起は不詳です。
伝説によれば、昔三入稲荷の西に石の祠があり僻地のため後、西原稲荷山に遷座しました。
後世、浮屠汎漫、両部を唱えるに至り明暦年間(1655)に長勝寺境内に遷祀し、延宝八年庚申(1680)に当社を再建、暫次、拝殿神楽殿その他建物を設立しました。
王政復古(明治初期)に於ける神仏混合廃止に依って同寺より分離しました。
明治五年壬申(1872)に栃木県庁より村社に列せられました。
明治六年癸酉(1873)二月、祠掌一口を置かせられました。
明治八年乙亥(1875)四月に同県庁に請い、現在社地に、ご賦与相成り、同年九月に至って全てを遷社しました。
従来当社は、村社稲荷神社と称していましたが、明治四十四年(1911)八月五日、管轄庁の許可を得て境内の末社、厳島姫社、稲荷社、八坂社、宗像社、園韓社、赤城社、椿名社、簗場の熊野社、天神の菅原社、鶴巻の諏訪社、西原の八幡社と向野の御嶽神社、三入の八幡宮を合祀し、村社高林神社と改称しました。
大正二年(1913)一月四日勅令神饌帛料指定神社となりました。
御嶽神社の遷宮合祀の内、向野御嶽神社、祭神国常立命・小彦名命二柱は、昭和五年(1930)七月元の場所に石宮を建て遷座しその後昭和五十一年(1976)現在の地に本社を建立し祭祀しました。
(境内案内板より)境内左奥に境内社八坂神社があり、社の中にはお神輿が二基収納されていました。
高林神社の祈年祭(焼餅会)江戸時代の天明の大飢饉の時、浅間がハネた天明三年(1783)、噴煙で日照不足となり、作物が育たず米も碌に取れず、飢饉になりました。
出来そこないの小さな米や小麦を粉に挽いて餅として、なりそこないの野菜、漬物から、道端の草でもなんでも食べられる物を餡として入れ、焼いて食べました。
飢饉時、極度の食料不足の中でも、妊婦に優先的に焼き餅を食べさせ、安産と子育ての無事を願ったといいます。
そんな昔語りとともに伝わる「焼餅」です。
(「冠稲荷神社ブログ」より)
静かないい神社です。
余り目立たないけど❗落ち着きがありいつも通り静かな?多分のんびりできる所です。
社格 村社祭神 豊宇気毘売神。
名前 |
高林神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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週に2、3回ですが参拝してます。