拝殿の扁額は「雨澍殿」。
拝殿の扁額は「雨澍殿」。
比較的神流川に近い地区なので、水沼と言う社名からしても、水に関する神社である事がうかがえます。
なお、社殿は神流72号古墳上に建っていますが、墳丘は削平されているとのことです。
社殿横の大石も気になります。
社号標と一の鳥居の間に、神流川合戦史を刻んだ石碑がありました。
神社南側の湧水池は、ヤリタナゴ、マツカサガイ、ホトケドジョウの生息地になっています。
藤岡市でヤリタナゴとマツカサガイの生息地はここだけだと推定されているそうです。
御祭神 大日孁命 素盞嗚命 保食命 罔象女命 健御名方命沿革永仁六年(1298)の上野国神社名帳によれば五百四十九社中の一社で「従四位下水沼明神」とあり安永三年(1774)の上野国志にも「当郡に五行の神あり神流川の名これに因ると云う戸塚村に水宮あり」とあり嘉永六年(1853)の上野名跡志にも上野国神名帳緑埜郡八社中の一社で「従四位下水沼明神」とあり創建年代は不詳であるが縁故の古い社である。
天正十年(1582)六月厩橋城主滝川一益と小田原城主北条氏直との神流川合戦の兵乱に遭い祠廟が荒廃したままであった。
明治十一年一月十五日下戸塚村内の各小祠七社を合祀し本殿を再建した。
明治二十九年二月十七日日清戦役戦捷祝賀大祭後の失火により全焼、明治三十年二月十七日新築落成した。
社殿北の奥宮は日本三石宮の一つと伝えられる。
社殿東の大石は明治初年の建立で稲荷古墳のものである。
(境内「水沼神社沿革」碑より)石碑「神流川合戦史」『国盗りの 修羅の場たりし 畑を打つ』天正十年(1582)織田信長本能寺に死すの訃報の後、織田方の滝川一益と北条氏直・北条氏邦が争った戦い「神流川合戦」が、厩橋城主滝川一益方の視点で書かれています。
神社周囲は現在農地や住宅地になっていて遺構は見られないですが、戦国時代の頃は「戸塚城」がありました。
更に古くは、社殿右側にある大きな石で、稲荷古墳の石室天井石と言われています。
墳丘は削平されているのですが、社殿の位置は神流72号古墳上です。
稲荷古墳が神流72号古墳(当地)なのか他の古墳なのかは分かっていません。
御祭神は弥都波能売神、水をつかさどる女神だそうで、比較的神流川に近い地区なので氾濫を鎮めるための神社だと思われます。
スグ横にタナゴ池があります。
S字カーブの途中にありますので、車で行くなら停めるところに充分気をつけて下さい。
名前 |
水沼神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0274-22-0414 |
住所 |
|
評価 |
3.6 |
遊具有ります 自然観察の魚 池も楽しめる。