奥津姫神社・白山神社 / / / .
百段階段を登れば絶景ですよ、しかし、その奥にはまだ上が!65段で奥津姫神社に帰りは手摺りにつかまり乳酸のたまった足にはこたえる急階段を下りやっと下界え!お疲れさま。
港に設けられた鳥居が目を惹きますが、この鳥居は対面の山に祀られた奥津姫神社の鳥居のようです。
場所柄、海の神様なのかなとも思いましたが、舳倉島の奥津姫神の由来なので舳倉島から神様をお迎えする意味合いがありそう?以下由来:御陣乗太鼓公式サイト引用 天正4年(西暦1576年)越後の上杉謙信は、能登の名城であった七尾城を攻略して「霜は軍営に満ちて 秋気清し 越山を併せたり 能州の景」と詠じ、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。
現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。
武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌まで持ち出して上杉勢を迎撃する準備を進めたが、あまりにも無力であることは明白であった。
しかし郷土防衛の一念に燃え立った村人達は、村の知恵者といわれる古老の指図に従い、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけた。
上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散したと伝えられている。
村人達は名舟沖にある舳倉島の奥津姫神の御神徳によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)に仮面をつけて太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っている。
太鼓のリズムは始めはゆっくり、次いでやや早く、最後は最も早く打ち切る。
すなわち、序・破・急の三段で打ち、これを何回も繰り返す。
その間、打ち手は自由な形でミエを切るが、面に応じた身振り、身のこなしなど個性的な芸を入れるのです。
非常に速いテンポで動きも早いだけに最後まできれいにその真髄を発揮して打ち切れる者は少ない。
それだけに各地の太鼓に比べ、リズム所作等がかもしだす異様な雰囲気には一種独特な迫力があり、人々の心に強く食い込んでくるのではないでしょうか。
また、御陣乗太鼓は打ち手だけのものではなく、名舟町全体のものであることもこの太鼓の特徴でしょう。
名前 |
奥津姫神社・白山神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
8月初旬に能登地方に旅行した時に、歌のバック画面に映る場所に立ち寄りました‼️石段の両端に、それぞれ違う神社名❓160段の階段登ると、名舟の町と海一望🤔お賽銭箱は何処に有るのかな~❓