大御堂城は、揖斐川東岸に築かれていた城で、現在は公郷地区の住宅地となっていて城の遺構は何も残っていない。
八幡神社境内に城の案内板と石碑が建てられている。
城石碑に刻まれた縄張り図によれば、この神社辺りが城の南西端で公郷地区月真寺(六之井陣屋の移築門がある)辺りが搦手曲輪があったところだとか。
大御堂城は竹中半兵衛の生誕地として知られており、城址に創建された八幡神社には石碑も建てられています。
1558年(永禄元年)、竹中半兵衛の父である重元が城主の時代に岩手信久の居城である岩手城(菩提山城)を奪って移り住んだため、大御堂城は廃城となりました。
付近には竹中家の菩提寺である月真寺があり、重元の墓があります。
竹中半兵衛公の誕生の地である碑があるだけでした。
竹中重治(半兵衛)の出生地と言われている城のあった場所です1558年父重元が現不破郡垂井町の岩手城主岩手弾正を攻略その地に菩提山城を築いて移り住むまで居城していたと思われるその後大御堂城は廃城になった長良川の戦いで義龍軍を籠城の末退けた実績のある城です。
記念碑の周りは、バラやさくらなどに囲まれている環境でボランティアによる清掃活動でいつも綺麗です。
道路沿いにあり隣が神社で、車や自転車の方々が休憩も兼ね立ち寄られ、時々カメラを片手に景色を撮ったりしてみえます。
竹中半兵衛の誕生の地。
竹中半兵衛の生誕地。
城址に創建された八幡神社には石碑も建てられている。
1558年(永禄元年)竹中半兵衛の父重元が岩手信久の居城である岩手城(菩提山城)を奪って居城としたため、大御堂城は廃城となった。
付近には竹中家の菩提寺である月真寺があり、重元の墓がある。
名前 |
大御堂城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
伝 大御堂城址。