山門、境内の大きな桜、傘松と独特で素晴らしい。
山門、境内の大きな桜、傘松と独特で素晴らしい。
撮影会で伺いました。
昌伝庵・松音寺・輪王寺と共に仙台城下の曹洞宗四大寺のひとつ。
【仙台市HPより】仙台市指定・登録文化財泰心院山門(旧仙台藩藩校養賢堂正門)泰心院は曹洞宗寺院で,仙台藩初代藩主伊達政宗の曽祖父・伊達氏十四世稙宗(たねむね)の夫人泰心院(芦名氏)の菩提寺(ぼだいじ)として米沢で創建された。
その後,岩出山を経て慶長12年(1607)仙台の現在地に移ったが,たび重なる火災のため,藩政時代の泰心院の建物は現存していない。
この山門は,勾当台にあった仙台藩藩校養賢堂が明治維新後県庁舎にあてられ,正門が洋風門に置き換えられた際に現在地に移されたものである。
泰心院山門は,一間一戸(いっけんいっこ)の堂々たる四脚門(しきゃくもん)で,屋根は切妻造(きりづまづくり),桟瓦葺で,伊達家の家紋「三引両(みつびきりょう)」と「九曜(くよう)」を配した漆喰塗の棟や細部の装飾など重厚な外観となっている。
藩校は,江戸時代に諸藩が藩の子弟を教育するために設けた学校で,仙台藩では元文元年(1736)に開設の学問所を前身とし,安永元年(1772)に養賢堂と名づけられた。
文化6年(1809)に学頭となった儒学者大槻平泉(おおつきへいせん)は大規模な学制改革と施設拡充を行い,文化14年(1817)に講堂が完成し,この正門もその時に建立されたものである。
講堂他の諸建築は昭和20年(1945)の戦災で焼失したため,この門は養賢堂の唯一の遺構である。
曹洞宗で、北山輪王寺の末寺。
米沢で開山し、伊達家とともに岩出山に移った際に火事にあって廃絶されたが、慶長12年(1607)に現在地に再建された。
山門は、明治維新の折に仙台藩校だった養賢堂の正門を移築したもので、仙台市の指定文化財になっている。
【仙台市HPより】仙台市指定・登録文化財泰心院山門(旧仙台藩藩校養賢堂正門)泰心院は曹洞宗寺院で,仙台藩初代藩主伊達政宗の曽祖父・伊達氏十四世稙宗(たねむね)の夫人泰心院(芦名氏)の菩提寺(ぼだいじ)として米沢で創建された。
その後,岩出山を経て慶長12年(1607)仙台の現在地に移ったが,たび重なる火災のため,藩政時代の泰心院の建物は現存していない。
この山門は,勾当台にあった仙台藩藩校養賢堂が明治維新後県庁舎にあてられ,正門が洋風門に置き換えられた際に現在地に移されたものである。
泰心院山門は,一間一戸(いっけんいっこ)の堂々たる四脚門(しきゃくもん)で,屋根は切妻造(きりづまづくり),桟瓦葺で,伊達家の家紋「三引両(みつびきりょう)」と「九曜(くよう)」を配した漆喰塗の棟や細部の装飾など重厚な外観となっている。
藩校は,江戸時代に諸藩が藩の子弟を教育するために設けた学校で,仙台藩では元文元年(1736)に開設の学問所を前身とし,安永元年(1772)に養賢堂と名づけられた。
文化6年(1809)に学頭となった儒学者大槻平泉(おおつきへいせん)は大規模な学制改革と施設拡充を行い,文化14年(1817)に講堂が完成し,この正門もその時に建立されたものである。
講堂他の諸建築は昭和20年(1945)の戦災で焼失したため,この門は養賢堂の唯一の遺構である。
旧伊達藩藩校の建物だそうです。
名前 |
泰心院 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
022-223-4386 |
住所 |
|
評価 |
3.5 |
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駐車場が分かりづらい。
お寺正面となからしい。
パーキングのマークほしい。
車止めの鉄板にすってしまった私。
くるまどめにご注意を。