近代街路樹発祥の地、横浜。
近代街路樹 発祥之地の特徴
横浜市中区の馬車道が1867年に近代街路樹を導入した発祥の地です。
開港120周年を記念し、1979年に建立された記念碑がここにあります。
街並みの景観美を象徴する存在として、横浜の歴史が詰まっています。
開港120周年を記念して1979年に建立。
題字は当時の横浜市長である細郷道一(さいごう みちかず)によるもの。
背面の説明は読み応えがあるが陰刻のため苦労を要する。
内容は良いだけにもう少し工夫や配慮が欲しかった。
2023/4/18旧東海道から横浜道を歩き、吉田橋まで来た。
そこからの帰り道に比較的新しい石碑を目にした。
まず題字を見る。
この手の石碑(茶色)は新しくても容易に読めない。
いつの間にか、誰の書かを見るクセが付いた。
何と、元横浜市長(細郷道一氏 昭和53年4月〜平成2年2月)の書ではないか!碑は、市長になって翌年の昭和54年(1979年)の建立。
氏の書による題字を見るのは、他区で偶然に出会って以来これで5箇所目、歴代の市長の中で一番だろう。
だいぶ前に、年一でこの碑のそばに有るカフェを利用していた。
当時は史跡等に興味など無く、碑が有っても目に入らなかった。
カフェから外を見て、セールスマンが時間を潰し易い広場のようだった。
多分今もそうだろうが、此処は誰にでも癒やしを与える貴重な場所だと思う。
馬車道に入ってしまうと、もう気が抜けない。
街路樹を楽しむ余裕も無くなる。
横濱は景観にこだわり街づくりを行った事が分かります近代国家作りには実用的な事ばかりでは無く心の安らぎも必要だったのでしょう。
横浜市中区の馬車道に柳と松の街路樹が植えられたのは1867年で、『近代街路樹の発祥地』です。
これを記念して馬車道広場に『近代街路樹発祥之地』の記念碑が建てられている。
慶應三年(1867年)に近代的な街路樹が植えられた場所とされる。
裏面碑文の記載から,ここでいう「近代街路樹」とは,「西洋の都市デザインを参考にした景観目的の街路樹」ということらしい。
なお,本邦の街路樹の歴史は,少なくとも,奈良時代にまで遡る。
周囲に主だった街路樹が視認できないことが寂しい。
横浜は日本の近代街路樹の発祥の地だと言われています。
慶応3年(1867年)、馬車道の各商店が、店の前に柳と松の街路樹が植えたのが始まりです。
馬車道(中区)の並木は大正12年(1923年)の関東大震災で焼失し、現在では昭和52年(1977年)以降に植えられたアキニレに代わっています。
関内駅近くの馬車道広場には「近代街路樹発祥之地」の記念碑が建てられています。
横浜は初物がいっぱい。
街の景観を美しくするために、慶應3年(1867年)に導入された横浜の馬車道の街路樹が、日本近代街路樹の発祥とのことです。
当時は、手入れのしやすい柳と松が植えられたそうです。
1867(慶応3)年頃、馬車道の各商店が美しい景観を作るため競い合うように柳と松を植えたそうです。
これが近代的街路樹の先駆けになったんだね!
景観に溶け込んで碑が建っています。
横浜には発祥がたくさんあるです。
歩道にひっそり建つ。
あまり目立ちません。
名前 |
近代街路樹 発祥之地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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横浜の街らしい名所の1つ。
街の中に上手に溶け込んでいる、当たり前のようで当たり前には存在しないモノ。
横浜の街を育ててきた、先人達の努力がうかがえる。