立ち寄ってみても損は無いでしょう。
東門の再建にまつわるエピソードに驚き、館内の各種展示物に目が皿のようになったり…。
時代の移り変わりを今さらのように感じて、感慨もひとしお…。
碓氷関所は1623年、江戸幕府によって設置されました。
中山道は特に重要な交通路であったため、関東出入国の関門として、幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視しました。
東西に門があり、西を幕府が、東を安中藩が守っていました。
その東門が昭和35年、関所跡に復元され、隣接地に関所史料館も建てられました。
2024.05.17 訪問アプトの道散策中立ち寄りました。
アプトの道から500m位進み、右側に少し行った所にありました。
高台の上にある史跡で、思ったより狭い場所でした。
歴史感はありました。
碓氷関所は1623年、江戸幕府により設置された。
中山道は幹線道路で特に重要であったため、幕府は関東出入国の関門として、箱根、福島等と並んで、「入り鉄砲に出女」を厳しく監視したのは有名。
東西に門があり、西を幕府が、東を安中藩が守っていたとのこと。
恥ずかしながら初めて知りました。
廃止は1869年(明治2年)太政官布告により他の関所と共に廃止された。
1955年(昭和30年)群馬県指定文化財に指定。
1959年、柱や門など当時の部材を使って東門が復元された。
ただ当時の場所ではなく、番所の跡に復元された。
また碓氷関資料館も建設された。
当時の関所の建物は存在しない。
先ず、思ったより町中にあったんですね。
もっと山の方にあったと思っていました。
取り調べは厳しかったと聞いていますが、のっぴきならない用事ができた者、駆け落ち同然の男女のカップル等、通行札(通行許可証)ない人もたくさん居たでしょうから、それを考えると心が沈みます。
国道18号線横川交差点の手前高崎方面寄りの場所に(関所破り者の碑)があります。
周りは竹藪に囲まれ、行くのに難儀する場所にそれはあります。
説明板には当時の群馬県知事の小寺氏の文があります。
「全国の関所破り者の霊を弔う」とあります。
行く手を阻む竹を端に除けたら、帰ってきた枝で頬を打たれました。
暗澹たる気持ちになってしまいました。
話は変わりますが、江戸に向かった皇女和宮様の行列は一体、どうやって碓氷峠を越えたのでしょうか?京都方一万人、江戸お迎え方一万五千人、人足四千人、ほぼ三万人の大集団、列にすると50kmに及ぶらしい。
和宮様は確か籠に乗っていたはず。
今でさえ急勾配の碓氷峠を越えるのはかなり大変だったはず。
本当なら中山道ではなく、東海道を使えば良かったのでしょうが、皇女奪還を叫ぶ尊王攘夷派の存在、大井川だっけかな、洪水等で通行できなくなること考慮して中山道になったらしいです。
晴れた青空、雲を見上げていると時空を超えて遥か昔にワープする錯覚に陥りました。
400年記念の幟があり初めて伺いました。
資料館で色々拝見し外で案内の方に門の説明を受けました。
門の柱の焼け焦げたあとの説明を受けた時には歴史の重み?面白さ?感じました。
滞在時間は長く取る程ではありませんが江戸時代の関所の歴史が分かりやすく説明があるので勉強になりました。
平日は資料館が開館して無いと思うので安中市のホームページ📱チェック必須だと思います。
1869年の関所廃止まで使われていた関所門のようです。
上毛かるたの「う」の札です。
関所廃止の際に廃棄を逃れた門(安中藩管理の片側の門のみ)が復元されています。
親切なボランティアの方が江戸から現代までの歴史を教えてくださいます。
国立競技場をデザインされた隈研吾さんも訪れています。
国の文化財指定を目指しているとのことで、興味を持たれる方が増えるといいなと思いました。
台数が限られるのと、駐車場の一部分で駐車が難しい場所があります。
駅から歩けるので次回は電車で伺います。
(復元された)関所の門+αと資料があるだけです。
それだけだが目の前の旧中山道とで思いをはせられる場所(かも)。
周辺の坂本宿等と合わせて想像を膨らませられれば…。
駐車場ありますよ。
わかりにくいですが道の横川駅側に2箇所。
碓氷関所は1623年に江戸幕府によって設置されました。
幕府は「入鉄砲と出女」として、特に厳しく取締をおこないました。
すぐ近くには資料館がありましたが、開館しているのかわからない状態であった上に外にある公衆トイレはあまりにも古かったのには本当に驚きました。
集落の中には駐車場があり、車で来ても散策ができるようになっていました。
関所の門しか残って居ませんが、明治になり取り壊しに会う所を上の命令に背いて(歴史的に大事な物)分解して隠し持って居たお陰で現代まで残って居た門です。
保存会の方が、いらっしゃって説明して下さいました❗️
現場に寄って散策してると、ボランティアから町内会館の様な古い小屋に案内された。
中には関所のジオラマがあり、ボランティアの説明も一生懸命なのはいいが、当時を偲ばせるものが何も残ってない上に、小学生の工作レベルのジオラマを、「写真撮ってTwitterで拡散してください、この角度、この角度!」としきりに勧めてくるのには閉口した。
その場では写真を撮ったが今はもう残ってません。
釜飯食べたら軽井沢に行った方がいいです。
中山道の福島関所と並び、重要視された関所。
安中藩と幕府の共同管理だった。
関所跡は宅地と化し、関所の東門が残るのみ。
観光案内所に碓氷関所の資料が展示されている。
分かりにくいが専用駐車場はある。
国道18号を右折し鉄道博物館入口のさきを左に曲がると直ぐ右手にありました。
近くに駐車場はないので博物館に停めて歩いて行くといいと思います。
階段を昇ると正面に立派な門があり左手には関所札を座って差し出す石の案内がありました✋
中山道で上野国の松井田宿と坂本宿の間にあった関所で、群馬県指定文化財。
江戸時代には、同じ中山道の福島関所、東海道の箱根関所とならんで重要な関所だったそうな。
現在の建物は当時の場所ではなく、番所跡に再建されたもので当時の建物は現存していないそうな。
ここでは江戸への「入り鉄砲」と江戸からの「出女」を取り締まり、武器の流入と大名の人質である妻子の脱出を取り締まったそうな。
アプトの道入口から徒歩約5分の場所に位置し、 旧中山道や当時の面影を忍ぶことができます。
安中市観光機構事務所のすぐ後ろです。
ちなみにアプトの道を歩く方は必ずここでトイレを済ませて下さいね。
次のトイレがある峠の湯まで徒歩約40分かかります(笑)横川駅、おぎのや本店、鉄道文化むらが全部徒歩圏内なのでまとめてセットでの散策をおすすめします。
駐車場は鉄道文化むらを利用して下さい。
広いし、夜間でも閉まりません。
有名所の関所をイメージしてしまうと、規模が小さいのでガッカリしてしまうかも知れませんが、それなりに保存もされており、ボランティア説明員も熱心でなので、立ち寄ってみても損は無いでしょう。
思い出として残るような体験を自分なりに探してみてはいかがでしょうか?
こむぎさんとわかばくんと記念撮影しました。
関所好きとかマニアックな人は良いとおもう。
敷地内にちっさい展示ブースがあり、地域のおじさん達が歴史とかを説明してくれる。
富岡近辺の観光の1つとしていく価値はあると思う!釜飯うまかった!笑。
碓氷峠の旧道にひっそりと有りました駐車場は無いので駅近辺に停める必要有ります。
ボランティア?のおじさまが丁寧に説明していただけました。
門以外は無く移築されたそうです。
早朝来たのでまだ鉄道文化村が開いてないので時間つぶしに近所を探検。
天気が良いので散歩には最適でした。
脇道を歩くとお宝がたくさんあり。
2019/09/22アプトの道を歩いて行くと「碓氷峠関所跡」の看板あり。
アプトの道から横にそれて、関所跡へ。
明治になって取り壊しされるところを、主要な部材を隠して土蔵に保管。
更に離れた土蔵へと移転保管して、昭和30年に古い部材を利用して再建されたものが現在の関所門とか。
あと旅人が役人におじきをして通行手形を差し出して通行の許可を受けた「おじぎ石」が展示されている。
関所跡の裏を少し登ると良い景色が見られます!
関所と銘打ってあると箱根とか勿来とか白河のような観光施設を思い浮かべますが、ここはそんなことはなく人影のない神社のような淋しい史跡でした。
そのため見応えが少ないのですが、風情があってここはこれでいいと思います。
民家と間違えそうな、ひっそりとした場所。
駐車場有ります。
案内人さんがとても詳しく説明してくれます。
ボランティアの方が詳しく、楽しく説明してくれます。
地元民として、ボランティアの方々に感謝をすると共に、将来に渡り、歴史遺産として残していかなければならないと感じました。
臼井鉄道文化むらの近くにあります。
中山道の関所であった碓氷関所ですが、廃止後まもなく焼却されそうになるところをあやうく取り出されたものだそうで、西側から見た右側の柱の上部は黒く焦げているのが分かります。
地元の方が保存をしているそうで、資料室もあり、興味深く見ることができました。
峠の湯へ向かう遊歩道の途中にあった為、寄り道。
地元有志の方がボランティアでガイドをしておられました。
貴重な歴史的資料も多く保存されているようで、それを間近に拝見させて頂く事も出来ました。
真田家の参勤交代時の手形等も保存されているようです。
名前 |
碓氷関所跡 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
027-382-7622 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金] 9:00~16:00 [土日] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ
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アプトの道、スタート地点。
醍醐天皇の昌泰二年(八九九年)に群盗を取締る ために、関所が碓氷坂に設けられたそうです。
少し手前(駅側)に小さな駐車場があります。