池田輝政陣跡池田輝政陣跡ですが「安王・春王の墓」が...
池田輝政陣跡池田輝政陣跡ですが「安王・春王の墓」が目印となります。
この付近に陣を張ったことから、安王・春王の墓の脇に、池田輝政陣跡を示す石碑が建立されています。
戦後、岐阜城攻めなどの功績から、播磨52万石となり、現在の国宝・姫路城へと大改修しました。
10/16 訪問 東軍デカイ銀杏あり岐阜城攻略で二の丸一番乗りを果たした池田輝政は関ケ原合戦では南宮山の西軍に備えて布陣。
⭐️1600年関ヶ原の戦い⚔️池田輝政隊4500、桃配山/徳川家康本陣の後方、浅野幸長隊4800と南宮山に着陣展開した西軍の毛利秀元・長宗我部盛親・長束正家らに対陣し牽制👀⭐️1590年から1600年関ヶ原の戦いまで15万2千石の吉田城主、1594年に豊臣秀吉の肝煎りで徳川家康の次女/督姫と婚姻、これが後に池田輝政を開運へ導く、戦後に播磨姫路52万石/初代姫路藩主に、1601~1609年に掛けて姫路城を大改修、そして現存🏯
「春王丸安王丸の墓」と伝わる史跡と隣り合わせで隣接します。
「陣跡」といっても今現在は石碑が建つのみです。
石碑があります。
墓地なので、短時間なら駐車可能。
小牧・長久手の戦いで父と兄が戦死した後に家督を継ぐこととなった池田長政は、池尻城主、大垣城主、岐阜城主の後に三河吉田十五万二千石の領主になりました。
徳川家康の息女督姫をめとり、関ヶ原の合戦では東軍に参戦して織田秀信(織田信長の孫)のこもる岐阜城を攻略して、関ヶ原の合戦当日には南宮山の西軍に備えた抑えの要となるこの御所野に陣を構えました。
東軍は勝利の合戦後は功労もあり姫路五十二万石に加増され、姫路宰相と呼ばれました。
彼は、姫路城を築城したその人です。
全く、彼は人生の勝ち組ですね。
国道から少し入った墓地の中央にあり、関東管領足利持氏の遺児である春王丸・安王丸のお墓と同所にあります。
合戦当日輝政軍は長束正家の軍勢と銃撃戦になったそうです。
池田輝政は播磨姫路52万石以外に、次男・忠継の備前国岡山藩28万石、三男・忠雄の淡路国洲本藩6万石、弟・長吉の因幡国鳥取藩6万石を合せ、一族で計92万石(一説に検地して100万石)の基礎を作った姫路宰相百万石の祖。
ドラマにしても面白いと思うのだか。
小牧長久手の合戦で戦死した池田恒興の次男😁東軍に与し戦後、播磨国を賜り世界遺産となった姫路城を築城した事で有名❗
池田輝政は播磨姫路52万石以外に、次男・忠継の備前国岡山藩28万石、三男・忠雄の淡路国洲本藩6万石、弟・長吉の因幡国鳥取藩6万石を合せ、一族で計92万石(一説に検地して100万石)の基礎を作った姫路宰相百万石の祖。
ドラマにしても面白いと思うのだか。
名前 |
池田輝政陣跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.3 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
お墓の中にあります。
なんかさみしい。