古墳横の神秘、三角縁仏獣鏡。
西丘神社(赤城塚古墳)の特徴
赤城塚古墳横に鎮座する神社で、さらに貴重な品があると評判です。
三角縁仏獣鏡が出土した歴史的な古墳の一つです。
古代太々神楽が奉納される、文化的な神社として知られています。
西丘神社は小さな村社といった様相の神社ですが、赤城塚古墳上にあるとの事です。
確かにこんもりとした墳丘になっています。
この古墳からは貴重な銅鏡が発掘されたと言う事で歴史的価値あるモノみたいです。
古墳横に神社が有ります!古墳は入れません。
三角縁仏獣鏡が出土した碑と説明文が有ります!
あまり古墳を感じらない。
こちらから出土した三角縁仏獣鏡のすごいところは、日本に仏教が伝わる前に中国(魏)から渡ってきたということ!!鏡に「仏像」が刻まれていますからね。
古墳の築造は4世紀~5世紀。
鏡というのは主体部にあった訳でしょうから、当時の人々は鏡にある「仏像」を見て、どんなことをイメージしていたのか?興味をそそられます。
なお、古墳の大きさは30メートルちょっとなので、古墳についての解説板のあるあたりから、社殿が建ってるあたりまで、すべて古墳の上ということになります。
群馬県内6箇所から出土、関東では全9箇所出土の古墳の一つです。
日本への仏教伝来前の鋳造で、神獣とされるものがかたどられていますが、個人的には仏のようにも見える。
国内仏教伝来前ながらも、もしかすると中国(魏など)で鋳造され、日本に伝来したのかもしれません。
現物は高崎市の群馬県立歴史博物館に収蔵され、当館に精巧なレプリカが展示されています。
羣馬縣管下上野國邑楽郡西岡村字赤城塚一五五二 郷社 西丘神社御祭神 大穴牟遅神 豊木入日子命相殿 高木神 磐裂神 大日孁命 保食命 大雷命 菅原道真公 倉稲魂命 水波能賣命 木花佐久夜比賣命 猿田彦命境内末社 道祖神社(八衢神) 水神社(弥都波能賣神) 湯殿神社(大山津見神) 浅間神社(木花佐久夜比賣命) 琴平神社(崇徳天皇)由緒社傳ニ曰上野神名帳ニ子赤城明神トアルハ當社ナリ、故ニ太古ヨリノ鎮座ニシテ社ヲ子赤ノ森ト云ヒ字ヲ赤城塚ト云フ、明治五年壬申郷社ニ列ス、明治四十年十二月二十八日許可、本社境内末社水神社、浅間神社及赤城塚無格社神明宮、仝境内末社一社、仝村大字西岡新田字悪途村村社雷電神社、仝境内末社二社、字田崎無格社稲荷神社ヲ合併、郷社西丘神社ト改称(「上野国神社明細帳」より抜粋)西丘神社(旧赤城神社)宝物 三角縁仏獣鏡(群馬県指定重要文化財)神事と芸能 古代太々神楽十二座(神楽殿あり)由緒沿革創建は不詳ですが天慶七年(944)三月藤原秀郷の勧請と伝えられ、延宝四年(1676)三月館林宰相徳川綱吉が社殿を再建する際、社地を地形するため南面にある赤城塚古墳の墳丘部を削土した折、石室より三角縁仏獣鏡(三世紀)一面・直刀と剣の破片が出土しました。
現在は収蔵庫に保存されています。
明治五年(1872)郷社に列せられ、同四十年(1907)十二月二十八日、字赤城塚神明宮・水神宮・浅間神社・字山崎稲荷神社・字新田雷電宮・猿田彦神社・字前原佐田神社・愛宕神社・金毘羅権現・瑜迦大権現・天神宮等を合祀して「西丘神社」と改称し現在に至っています。
(「板倉町史 通史 下巻」より抜粋)境内には「三角縁神獣鏡」に関連した石碑や案内板があります。
板倉町指定重要文化財「鏡陵皇太神碑」板倉町指定史跡「赤城塚古墳」
古代の銅鏡が出土された古墳。
出土された当時の丘が残り、現代風に整形されていない。
訪れる人が少なく古代のエネルギーが感じられる。
埼玉県内のパワーアップスポット。
観光化せず、このまま保存していただきたい。
カブトムシがいる木が切られました。
江戸時代の初め(1667年)に西丘神社創建のため円墳の頂上が削平された。
そのとき、三角縁仏獣鏡はじめ刀剣などが出土し、鏡は社宝となった。
また、1857年に鏡の出土を顕彰して「鏡陵皇太神碑」が墳丘上に建てられた。
名前 |
西丘神社(赤城塚古墳) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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貴重な品があった場所塚も有る!回りを整備してほしい。