南側斜面にある曹洞宗寺院である。
法雨山善福寺は「国指定史跡五領ヶ台貝塚」の小高い丘陵、南側斜面にある曹洞宗寺院である。
この善福寺のご本尊「木像阿弥陀如来立像」は像高 76.3cmで寄木造の玉眼嵌入、金泥で上品下生(じょうぼんげしょう)の来迎印(らいごういん)を結ぶ。
両手は銅で造られているという珍しい作例である。
また、丁寧に彫りだした螺髪(らほつ)の一粒一粒に銅線を巻き付けていたり、台座に足ほぞを使わずに固定させているなど「歯吹(はふき)阿弥陀(口を軽く開いて3、4本の歯を覗かせる )」などと呼ばれる特殊な 仏像たちと類似の構造を持っている。
ただ、本像の場合、口を僅かに開くものの、現状では歯は見えない。
衣文表現などに宋元風の特徴が著しく、造立は13世紀後半も早い時期と考えられる。
平塚市指定重要文化財に平成4年3月5日尼指定された。
善福寺入口の道路を挟んだ下部に六地蔵が参道階段両脇に各々鎮座する。
この右側六地蔵の本堂側には「広川学校温知館跡」の石碑が建っている。
これは明治5年(1872)の学制発布に伴い広川村の中心であった善福寺に広川小学校温知館として明治6年(1873)に開校された記念碑である。
この温知館に通い勉学に励んだ、片岡、広川、千須谷、公所、根坂間、河内、徳延、纏、吉沢の9ヶ村の170人であった。
その後、明治12年(1879年)には公所学校が新設され、次いで支校として土沢学校が開校した。
これにより、元の広川学校温知館は、役目を終えた。
左側六地蔵の南側の戒壇石に宝暦九巳卯年(1759)夏守居日善福無量禅寺???に奉献の「不許葷酒入山門」の禅宗特有の石塔が置かれている。
この六地蔵の先の道路を越して石階12段を登った天馬左に「地蔵菩薩」が鎮座し、境内の本堂左側に当山12世祐宗實??の宝筺印塔(安永二年??)の右側に観音菩薩坐像、右側に大日如来坐像(維持享保五子年三月廿八日)が安置されており。
宝筺印塔の左奥に「庚申塔」が座っていた。
いいお寺ですよ。
名前 |
善福寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0463-58-0045 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
お寺の上の駐車場からの景色は、最高です。
平塚の海が見えて、初日の出や花火大会のロケーションには、遮るものが無いこでフォントポイントとしても穴場です。