観音崎公園のたたら浜側から入ると近い。
ひとりで偶然にたどり着きました。
白いタイル張りの三角の巨壁に導かれるように入っていくと、急に視界が開け海原の風景が広がります。
絶景の下に目を落とすと「安らかに ねむれ わが友よ、波静かなれ とこしえに」の碑文が刻まれた石碑があり、手前の献花台の中央に小さな花束が供えてありました。
静かな映像作品の中にいるようです。
振り返ると、男女4人ほどの群像があり、海に挑むような男性ふたりと、讚えるように寄り添う人魚のような女性ふたり。
遭難する船員たちを迎える女神を想起させられました。
よくできた空間芸術のような構成に感じ入りながら歩いていくと、三角形の小さな石碑が並んであります。
小さな碑文をかがみ込んで読むと、天皇皇后両陛下の御歌が刻まれていました。
帰って調べると昭和46年に建立されてからずっと慰霊祭が執り行われてきたようです。
自分が育ってきた時間に、このような空間でずっと祈りが捧げられ続けてきたことの大きさに圧倒された思いです。
忘れられない体験でした。
静かな場所に佇みます。
ここから見える海の景色も最高です。
今は…野良猫がのんびりと寛いでおり、平和な時が流れています。
合掌。
公園内でも高い位置にありますので、そこそこ登ります緑道を登り、少し大変かも知れませんが、巨大なモニュメント、眼下の東京湾は見る価値があると思います。
かなり大きなモニュメントがあります。
周りの遊歩道が変化に富んでいて面白いです。
1番長めの良いこの場所に戦没員の碑を建てるという尊敬の意のある感情が伝わりました。
とても美しい眺めでした。
2021.7.戦後76年やすらかにねむれわが友よ波静かなれとこしえに日本軍に徴用されて、戦火に散った一般の方々60.000人余り、何報われることなく海底に眠る、戦没船員の御霊を慰める慰霊碑。
日本の礎となられた方々に哀悼の意を表し日々合掌。
快晴☀️です。
2020.12訪問 考えさせられます。
観音崎の高台にある眺めの良い戦没船員の碑。
この周辺には捨て猫が多いようで猫が沢山いました。
山の上にあるので登ってくるのは大変ですが、いちおう、車椅子でも登れるように、階段を使わずに通れる通路が整備されています。
また、最後の碑に至るところの階段も、脇にスロープが設けられており、ちゃんと前まで行けるようになっています。
ただ、そこまではかなりの坂になっているので、電動車いすでなければ、かなりきついのではないかと思われます。
どうか安らかにお眠り下さい。
民間から徴用された人員と船舶がどれだけ無駄になったか先の大戦では大本営の無策が悲劇を起こすこと多く無念でなりません。
天皇陛下御製戦日いくさびに逝きし船人を悼む碑の彼方に見ゆる海平らけし(平成4年)皇后陛下御歌かく濡れて遺族らと祈る更にさらにひたぬれて君ら逝ゆき給ひしか(昭和46年。
観音崎公園の浦賀水道が一望出来る場所に昭和46年に建立された碑があります。
第二次世界大戦で日本軍に徴用された民間の商船や漁船などで米軍の爆撃で戦死された6万人余りの方や、その後の海難事故で犠牲になられた方を慰霊する場所です。
毎年、追悼式が行われ、天皇皇后両陛下や皇族方も出席されます。
右手の高さ24メートルという三角の帆をあらわす白い大碑壁と左手の群像などが美しい記念碑です。
入り口には神戸高等商船学校の練習帆船だった進徳丸の錨が置かれて、祭場の先端の海が一望できる出来る位置に「安らかに眠れ わが友 波静かなれとこしえに」の碑文が大きく横に刻まれていました。
観音崎公園内にある慰霊碑です。
海難事故や軍人以外の戦没船員を慰霊するために戦後に作られたもので、高さ24mにもおよぶモニュメントと、浦賀水道を望む献花台があります。
公園内には東京湾要塞の遺構が数多く残っています。
少し山の上にあります。
何度も行っていところ。
白いカーブを描くモニュメントとアジアに向かった海図と文字。
二度と戦争をしてはいけません。
船員の慰霊碑です。
トイレがあります。
東京湾、浦賀水道、フェリーなど眺めは良いです
南方で、亡くなった船員の方達の、慰霊碑です。
慎んで訪問しました。
合掌。
名前 |
戦没船員の碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.4 |
観音崎公園のたたら浜側から入ると近い。
高台にあるので長めもよい静かな広場にひっそり碑と群像が置かれている。
側には山桜の枝が伸びる芝生の広場があり、かなりの穴場感。