淀小城跡の石碑(新しい)がありました。
入ることができません。
秀吉の側室で秀頼の母の淀殿がおられた淀古城跡推定地にあるお寺です。
歴史に興味がある方にはいいかも。
淀駅から徒歩10分ほどの住宅地にある法華宗の寺院です。
出世稲荷としてあちこちに祀られている小満小女郎という夫婦の狐さんの逸話ができた場所です。
戊辰戦争の際放たれた砲弾と、その砲弾が貫いた壁や柱がそのまま保存されています。
幕末から明治にかけての歴史好きにはたまらない場所です‼
かつて秀吉が築いた淀城の跡です。
今は石碑しかありませんが、隣に流れている小川が堀跡の名残を留めています。
淀競馬場の近く。
住宅街の中にある 落ち着いたお寺。
2018年春期京都の非公開文化財の特別公開で拝観しました。
本堂には戊辰戦争時に飛来した砲弾や被弾跡が生々しく残っていました。
砲弾は南側の壁から入り、柱を貫いて北側の壁に当たっていました。
水平に近い角度で飛んできたことがよくわかる。
幕末維新を知る上では、大変示唆に富んだお寺です。
「大政奉還150年幕末維新を歩こう」戊辰役戦争で此処も激戦区でその痕跡が残って居るのが、妙教寺だけです、此の寺は観光寺では無く檀家の方々を大切にされ、非公開です。
桂川と旧京阪国道の間、鳥羽街道沿いの納所(のうそ)に妙教寺(みょうきょうじ)は建つ。
かつて付近西には巨椋池が広がり、境内には淀城(淀古城)本丸が築かれていた。
幕末、鳥羽・伏見の戦いの際には、付近で戦闘が行われ本堂が被弾していますが、その跡は今もそのままです、法華宗真門流。
本尊は釈迦如来、多宝如来。
「大政奉還150年幕末維新を歩こう」戊辰役戦争で此処も激戦区でその痕跡が残って居るのが、妙教寺だけです、此の寺は観光寺では無く檀家の方々を大切にされ、非公開です。
桂川と旧京阪国道の間、鳥羽街道沿いの納所(のうそ)に妙教寺(みょうきょうじ)は建つ。
かつて付近西には巨椋池が広がり、境内には淀城(淀古城)本丸が築かれていた。
幕末、鳥羽・伏見の戦いの際には、付近で戦闘が行われ本堂が被弾していますが、その跡は今もそのままです、 法華宗真門流。
本尊は釈迦如来、多宝如来。
鳥羽伏見の戦いの際、幕府軍(東軍)は鳥羽→富ノ森→淀と撤退しながら戦ったのですが、この辺りも激しい戦闘があったらしく、柱を砲弾が貫通した痕があるそうです。
各所に戦死者が埋葬されていますが、こちらのお寺もその一つです。
あと淀殿がいた旧淀城の本丸がこの辺りだったらしく、確かに淀駅から来るとお寺周辺は一段上がってたり、お寺の横には小川があったりしますが、特に遺構と呼べるものはなく、北城堀や南城堀などの地名に痕跡を残すのみです。
境内に淀君ゆかりの淀古城址の石碑があります。
城の遺跡や遺構はありませんでした。
豊臣時代の淀城跡。
戊辰戦争東軍戦死者供養塔があります。
淀小城跡の石碑(新しい)がありました。
だいたいこの辺にお城があったのかなとしかわかりません。
鳥羽伏見の戦いの際、幕府軍(東軍)は鳥羽→富ノ森→淀と撤退しながら戦ったのですが、この辺りも激しい戦闘があったらしく、柱を砲弾が貫通した痕があるそうです。
各所に戦死者が埋葬されていますが、こちらのお寺もその一つです。
あと淀殿がいた旧淀城の本丸がこの辺りだったらしく、確かに淀駅から来るとお寺周辺は一段上がってたり、お寺の横には小川があったりしますが、特に遺構と呼べるものはなく、北城堀や南城堀などの地名に痕跡を残すのみです。
名前 |
妙教寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-200-5055 |
住所 |
|
評価 |
3.4 |
工事とコロナ禍の為 しばらく見学が出来ないとの事です。