応仁・文明の乱(1467〜77年)で勧修寺は焼失・...
勧修寺の観音堂は昭和6年(1931)に建立もされたそうです。
大斐閣ともいわれ、ご本尊は観世音菩薩だそうです。
池に映る姿は素晴らしい❗
屋根の曲線が美しいですね!屋根の上にいる鳳凰(?)が羽を広げている様子をこの曲線で表しているようです桜や蓮の時期にも訪れてみたいです。
時を経て、応仁・文明の乱(1467〜77年)で勧修寺は焼失・荒廃しました。
さらに、豊臣秀吉が境内中央に伏見桃山城につながる伏見道を設けたため、境内は南北に分断されました。
また、最終的には、寸断された南側の地は勧修寺の境内からはずされてしまいました。
荒廃していたとはいえ、古来の名刹を分断する道をわざわざ付けたことについては、勧修寺と秀吉の間に何らかの不和があったとする説が有力ですが、はっきりしたことはわかっていません。
紅葉は明日で終わりみたいです‼️今度は春ですね☺️
勧修寺内にある観音堂。
この前に心地よい芝生の空間があり、ベンチに座って眺める桜との景色も風情があります。
名前 |
観音堂 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
〒607-8226 京都府京都市山科区勧修寺本堂山町3−36 |
評価 |
4.1 |
桜🌸が咲いてます。
まわりは紅葉。