坂下の東側にある寺『心眼寺』が坂名の由来です。
大坂冬の陣の大坂城出丸(真田丸)跡に立つ心眼寺は真田信繁(真田幸村)と真田大助親子の冥福を祈るため、元和8年(1622)4月、白牟和尚が堂宇を建立したのが始まりとされる寺です。
歩道と車道を隔てる柵の3ヶ所(坂の下部、中程、上部)に『心眼寺坂(SHINGANJIZAKA)』と記された大きなプレートが設置されています。
真田丸にいたのはどうも真田幸村隊だけじゃないみたいです。
後藤又兵衛の近習が「真田丸には長宗我部と真田の半分が守備していたけど、世間は真田一人の出丸のように噂している」と語っています。
真田丸って二つの部隊が入れるように作ってあって、そこに長宗我部隊と真田隊が駐屯してたみたいです。
こんなやり取りも「前田家の方々、篠山を囲んだようだが何のためですか?狩りですか?鳥獣なら貴殿らの発砲で驚いてみな逃げてしまったようですぞ。
もし暇があるようでしたら、我らがお相手してもよろしいが。
それともこのような小城は相手にできませんかな?」
名前 |
心眼寺坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
いい坂じや、ないですか☀️なだらかな本当にいい坂です👍