知多四国八十八箇所 53番。
☆織田信長三男『織田三七信孝』信長の跡目争い、1583年北ノ庄の柴田勝家や北伊勢の滝川一益らと連携、信長次男/織田信雄と羽柴秀吉に対抗し挙兵⚔️頼みの綱の柴田勝家が賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、北ノ庄城に追い込まれ自害、信孝の居城/岐阜城も信雄に包囲され開城、墜ちた先が尾張国野間の内海大御堂寺南ノ坊に籠る、羽柴秀吉~織田信雄により追い込まれ無念の自害、それが『安養院』享年26😢安養院、小ぢんまり綺麗にされた境内、今だ信孝自害の短刀と臓物を投げつけたと言われる血染めの掛軸が現存、非公開⁉️本堂左側に「せき地蔵」あり参拝❗️
若い夫婦?カップルが本堂で住職様にお経をあげている最中におまえりさせて頂きました。
住職様のお経と人柄のいいおくりさんの納経所の対応で心が清々しい気分で納経できました。
ここは毎年お参りに行ってご先祖様のお経をあげて貰います。
義両親が亡くなってから主人とお参りをさせて貰いましたが五年前に主人も亡くなり、今は長男夫婦に連れて行って貰っています。
ここへお参りすると心が落ち着きます。
主人との思い出も懐かしく思い出されます。
織田信長の三男 信孝が自刃して果てた寺。
その時に使用された短刀と臓腑を投げつけたという掛け軸が伝わっているようですが非公開のようです。
知多新四国八十八箇所霊場 五十三番札所真言宗豊山派 鶴林山 安養院(かくりんざん あんよういん)ご本尊は阿弥陀三尊野間大坊から近く車をそのまま停めて歩いていきました。
賤ヶ岳の戦い後、織田信孝は安養院(当時は大御堂寺の中にあったようである)で信雄の命令によって信孝は享年26で自害させられた。
墓所は大御堂寺(野間大坊)にある。
安養院には切腹に使用した短刀と血の跡が残る掛け軸が伝来しているというが、非公開。
知多四国八十八ヶ所霊場 五十三番札所 寺院前に小さい駐車場があります。
駐車場までの道路は狭いですがラージクラスセダンでも通行できました。
名前 |
安養院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0569-87-0288 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
知多四国霊場53番。
ご本尊は阿弥陀如来様。
源義朝のエピソードは野間大坊だけではないのですよ。