昔は祠の横にあるやぐらに祀られていたそうです。
かつて、金網がコンクリートの段差ギリギリの所に設置されていて、ヤグラの中を見る事が出来なかったが、今はヤグラに直接金網が取り付けられているので、中を見る事が出来るようになった。
穴には入れませんでした。
川喜多映画記念館のほど近くにある。
元々は松源寺という寺院が管理していたが明治の神仏分離で廃寺に。
また、肝心の岩窟も崩落の可能性があるということで封鎖されている。
(中の石仏は確認が出来る)不動堂自体は小さいながらも立派で管理もよく行き届いている。
不動茶屋の奥にあり めだちません。
大昔は岩窟の中に仏がいたようです。
現在は崩落の危険がありネットが張られ中に入る事はできません。
鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』には「窟堂」という名でいくつかの記述があります。
「1188年10月10日 勝長寿院に参詣した窟堂の聖阿弥陀仏房が路上にて急死した。
めずらしいことであった。
この頃庶民が多く急死したという。
」 「同年正月大一日 窟堂下の佐野太郎基綱の屋敷で火災があり、数十軒にわたって類焼した」形は変わっても源頼朝時代からいままで残る岩窟不動尊は鎌倉の貴重な遺産のひとつです。
入口も塞がれてしまい手入れも行き届いておらず、どうにかして欲しい。
ひっそりとありました。
手前の不動茶屋で腹ごしらえしました。
小さいながらもご威光のあるお不動様でした。
ただお祀りされている場所が防空壕の前で…
31.岩窟不動尊(今の位置より東側か・・・・・ )アクセス:鎌倉駅西口より市役所前交差点を右折して北に向かい、道なりに約800メートル進むと左側に寿福寺があります。
その右側にJRの踏切があり、この踏切渡ってさらに進むと、まもなく左側にあります。
徒歩約12分。
尚、さらにこの道を進むと鶴岡八幡宮へ行けます。
・岩窟(いわやどう)は不動明王をお祀りした岩屋のお堂です。
・窟堂の歴史は古く、頼朝が鎌倉に入る前からありました。
岩窟に関する記録は吾妻鏡や相模風土記などの史書にも多く記述があります。
・南は海に面し、あとの三方を山で囲まれた鎌倉に出入りするのは大仕事でした。
船路を利用する以外は山を越さねばなりません。
「攻め難く守り易い」と言われたのもそのためです。
・切り通しを作ったり山越えをしたり、その一つ、源氏山から化粧坂(けわいざか)を経て鎌倉の中心地に至る重要な街道沿いの岸壁の岩窟の中に、お不動様は祀られていました。
・ 昔の街道は、大地震で崩れたりしたため、山裾を迂回するような街道に位置が移動とした思われます。
・ 洞窟奥壁の不動像は、江戸期のものらしい。
永い年月の間にお不動様の像も風化し、後に石の像が作られ、今に至っているようです。
・松源寺 (川喜多映画記念館付近か・・・・ )窟堂の東側には、真言宗のお寺、松源寺があり、窟堂は、江戸期まで松源寺に管理されていました。
松源寺は、頼朝が源氏再興を祈願した伊豆日金山の地蔵を模造した日金地蔵を祀った寺です。
・ 明治の神仏分離により廃寺となり、頼朝の位牌は白旗神社(西御門)へ、日金地蔵は横須賀の東漸寺に移されている。
・ 松源寺の山号は日金山でした。
再興を祈った伊豆日金山の地蔵と同じ日金地蔵を祀ったのが松源寺で、石橋山の岩屋と鎌倉の岩窟の関係は・・・・・・・・・。
・伝説!松源寺の怪談ある晩、飴屋に水飴を1文買いにきた女がいた。
次の晩も1文買っていった。
女が買いにきてから6日目の晩に「明日からもう参りません」といって帰って行ったので、気になった亭主があとを追いかけたが、松源寺の墓場で見失ってしまった。
・すると、どこからか赤ん坊の泣き声がするので、墓場の中に入って行くと、桶のなかに女の死骸と赤ん坊がいた。
・臨月の女が死んで葬られたのだが、赤ん坊が生まれたので、乳の代わりに水飴をなめさせていたのだろう。
・水飴を買った銭は、六道銭として入れられた銭を使ったに違いないということで人々は噂したという。
・松源寺の墓は、廃寺となってから壽福寺に移されたという。
鎌倉六阿弥陀巡り。
宝戒寺から浄光明寺への道中にて、不動茶屋と言う店の入口の所にあります。
普通に歩いていると、通り過ぎてしまいます。
歴史的には、鎌倉時代の吾妻鏡ににも記されている所です。
不動尊の右下にある重軽石と言われる石があり、願い事をして石を持ち上げて、石の重さを軽く感じれば、願い事が叶うと言われるています。
茶屋の奥にあるので、茶屋でなにか注文しないと見学し辛いですね。
不動茶屋の奥にある小さな不動尊。
不動茶屋の奥にある小さな不動尊。
名前 |
巌窟不動尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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川喜多映画記念館の前の道を横須賀線の踏切の方に少し歩いた所にある岩窟不動尊は、今は祠に祀られていますが、昔は祠の横にあるやぐらに祀られていたそうです。
源頼朝が鎌倉に入る前からある不動明王のお堂といわれています。