足元はプラスチックの網じょうのものが敷いてあるので...
源氏山公園内に鎮座する源頼朝像結構険しい山中にあるので一般観光客はまばらなエリア銭洗弁財天からのルートが急坂あれど歩きやすいかなぁ今回使ったのは寿福寺境内墓石群の横道からやや険しい山中から登るルート途中太田道灌の墓がありまする。
源頼朝像は、頼朝が鎌倉入りしてから800年後の1980年に制作プロジェクトがスタートし、翌年5月に建立されました。
また像の立つ源氏山公園のすぐ東の亀ヶ谷には頼朝の父、義朝の邸宅がありました。
さらに義朝から3代遡った八幡太郎義家の私戦、後三年合戦の前に義家がこの地に源氏の旗印「白旗」を掲げたことから白旗山と呼ばれる事もあります。
因みに伊勢平氏は「赤旗」が旗印でした。
頼朝像のお顔が大河ドラマ鎌倉殿の13人の頼朝役大泉洋さんに見えてしまうのは私だけでしょうか。
広場でシート敷いてお弁当食🍱🍙食べました!
足元はプラスチックの網じょうのものが敷いてあるので滑りやすいです。
気をつけて歩きましょう!
鎌倉駅から歩いて行きました。
山登り辛かったですが、登った甲斐がありました。
源氏山公園にある源頼朝公の像で、胡座の像は珍しい。
大抵の武者像は立像か騎馬像であるので、甲冑姿の座像は余り見かけない。
銭洗弁財天に行く途中で寄り道。
空がきれいだったので頼朝像も綺麗でした。
ただ、近くのベンチでおにぎりを食べようと思ったら鳥にアタックされました😅幸いおにぎりは無事でしたが、江ノ島だとよくとんびが人間の食べてるものを奪っていますがまさかここで襲われると思わずテンション⤵️皆さんも気を付けてください!
銭洗弁財天から、さらにかなりの急坂を登りきったところにあります。
公園はいうほど整備されていませんが、自動販売機もあり、水を購入できました。
景色もさほどよくありませんが、源頼朝公の銅像があります。
この銅像は頼朝の鎌倉入り800年を記念して昭和55年に造られました。
工事の際に人骨が一体見つかっており、この一帯は墓地だったようです。
11世紀東北地方で起きた豪族清原氏の内乱を平定するため、有名な「八幡太郎」 源義家がこの山にて源氏の白旗を掲げ、戦勝を祈願したそうです。
その時の先鋒が鎌倉の御霊神宮のご祭神である、鎌倉権五郎景政でした。
また山の麓の亀ヶ谷には頼朝公の父、源義朝の邸宅があったそうです。
コロナの数少ない恩恵で頼朝像が貸し切り。
花と葉が同時に開く山桜が樹々の間に点在。
桜はこれくらいがいいな。
日本史で大好きだった源頼朝。
近くで見ると迫力満点でテンションがあがります。
晴天に恵まれとても空気が美味しいところでした。
銭洗弁天を通り過ぎて坂を登って行くとあります。
歩いて行くと辛いかもしれませんが、車で行くにも坂が急だし歩行者も多いので微妙。
景色は綺麗ですが、像自体は特段すごい!って程ではないかな。
個人的にはハイキング気分で寄ったので満足でした。
2020年5月24日自転車を化粧坂の下に置いて登ってきました。
^_^やっぱり、オーラがありました。
良かったよ。
人が全然いない。
天気が良過ぎて、紫陽花も暑そうでした。
ハイキングコースの途中にありました堂々たる銅像だと思いますほかに公園内に見るべきものはありませんが広く開けているのでピクニックには最適ですよー。
公園自体はそれほど大きな感じはしませんが、緑が深くて気持ちいいです。
源頼朝公の銅像は初めて見ました。
戦国武将ほど注目されませんが、武士のはしりだと思うと感慨深いです。
見晴らしの良い広場にあります。
足元は滑りやすいので、朝露や雨上がりには特に注意が必要です。
化粧坂を登り、源頼朝の像に辿り着きました!中学の歴史の教科書で見た頼朝と違う感じの出で立ちで立派でした✨紅葉もとても綺麗でした!
化粧坂を登り、源頼朝の像に辿り着きました!中学の歴史の教科書で見た頼朝と違う感じの出で立ちで立派でした✨紅葉もとても綺麗でした!
源氏山公園、化粧坂の南に源頼朝の座像があります。
名前 |
源頼朝像 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
0467-45-2750 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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源氏山公園といえば、イメージするのは頼朝像ですね。
頼朝の鎌倉入り800年を記念して建てられたそうです。
ずいぶん久しぶりに、ご尊顔を拝しました。
どのルートを通っても、結構な坂なので、遠足とかじゃないと来る機会はないかな。
(今回は、化粧坂切通を登りたいとか、太田道灌の墓参りがしたいとかいう、さらに訳の分からない理由でやって来ました)今日は良い天気で、青空に頼朝像が映えました。
寿福寺の山門近くにあった「源氏山」の碑には以下のようなことが書かれていました。
「源氏山は、はじめ武庫山(むこやま)と言い、また亀ヶ谷の中央にあり、景勝がよいことから亀谷山とも云われていた。
源頼義、源義家親子が東北地方に征伐に行く際、この山に旗を立てたことから、旗立山とも云われた。
山の麓の寿福寺境内付近は、昔から代々源氏の邸宅だったと伝えられている。
源氏山の名前はそこからきたのかも知れない。
旗竿を建てたと伝えられる跡が今なお残っている」ここは、古くから源氏と縁がある土地なのですね。