社殿の周りには灯篭や狛犬が並んでいて素敵でした!
【手向山八幡宮・たむけやまはちまんぐう】若草山山麓から東大寺三月堂方面への散策の折に参拝いたしました。
南鳥居から境内へ足を踏み入れると、冬枯れの木立の静寂、鳥の囀りだけが聞こえ、厳かな雰囲気は別世界へ来たようです(鳥居は南鳥居のほか、東大寺三月堂側、東大寺大仏殿側の三箇所に在ります)左右には幾つもの摂社が在り、やがて御本殿へ。
この地に鎮座したのは奈良時代(749年)東大寺大仏建立のため、聖武天皇の勧請により九州豊前国(大分県)宇佐八幡宮より東大寺守護の神として八幡神を招き、お祀りされたそうです。
今回は冬の訪問でした。
周囲は紅葉の名所とのこと。
是非とも錦秋の時季に訪れてみたいものです。
境内には菅原朝臣公がお座りになられた腰掛け石も現存…『このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに』※菅原道真公~古今集(※訳)今回の旅は急のことで、道祖神に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでした。
手向けの山の紅葉を捧げるので、神よ御心のままにお受け取りください。
小さいのかなと思っていましたが赤い大きな鳥居があり、社殿の周りには灯篭や狛犬が並んでいて素敵でした!二月堂に行く際には是非寄って欲しいです!!
南都七大寺の中で興福寺に続いて廃仏毀釈の被害が大きかったという東大寺。
鎮守八幡宮との分離が行われたとのこと。
分離された八幡宮は「手向山(たむけやま)神社」と称するようになり、今もなお、大仏殿の廻廊を出ると、すぐ横に鳥居はあります。
高畑交差点を(奈良公園)直進する左手に⛩鳥居が見えます。
オススメ写真スポット📸鳥居手前から奥に色づきかけた紅葉🍁や存在感のある大木神秘的な空間でした。
今日のハイライト菊一包永駐車場に車を置いお昼を『山のカフェ』さん私のオススメの季節のピザとパスタを食べお腹を満たし😆手向山神社へ、、、、山のカフェの前に緑が映える若草山を眺め鹿とたわむれながら坂を降り手向山八幡宮に訪れると境内までに『菅公腰掛石』があり石碑には有名な和歌「この旅は 幣もとりあえず手向山 紅葉の錦 神のまにまに」と一度は百人一首で見たことがあるかなと思います。
短歌の現代語訳今度の旅は急のことで、道祖神に捧げる幣も用意することができませんでした。
手向けの山の紅葉を捧げるので、神よ御心のままにお受け取りくださいと言う神様への敬意を歌にのせた様に私は感じました。
この後、三日月堂・二月堂へつづく、、、
たむけやまはちまんじんじゃ、と読みます。
東大寺から登って登ってでちょいと息は上がりますが、歴史ある境内と鮮やかな本殿が美しく、来て良かったと思えます。
今日は紅葉🍁いい感じに色づいていました。
御朱印も達筆!!ありがたいです。
車椅子ユーザーは登りキツいし、境内に入るのに2段と門を越えるのでサポートがないと難しいです。
ただし何十段も階段あるわけではないので、頑張りましょう!
二月堂に向かう道中にふと気になって、そのまま前を素通りも失礼かと思い寄らせていただきました。
中に入ってびっくり。
菅原道真公が「たむけやま」の和歌を詠んだ場所だとあって、百人一首や源氏物語が好きな連れは「ここがあの‘たむけやま’かー!!!」と大興奮でした。
何となしに神社やお寺に入るのはそこの神様仏様に呼ばれているから、と聞いたことはありましたが、少し納得した瞬間でした。
ちょうど落ちた紅葉が碑を覆っていて、和歌にぴったりだなと癒されました。
社務所には常に人がいる訳では無いようで、入った直後にちょうど人が出てきて運良く御朱印をいただけました。
こんなところも↑の様に感じたひとつでした。
東大寺を守る八幡さまです。
鳩の御紋から、何か大切な思いを感じます。
感謝です。
東大寺から春日大社の方へ抜ける道の途中にあります。
小さいし目立つ案内もないから注意しないとわからないかも。
八幡宮の総本社である九州の宇佐神宮から勧請され東大寺の鎮守神とされた歴史ある神社。
ちなみに有名な石清水八幡宮ももとは宇佐神宮から勧請されています。
御朱印は達筆です。
八幡宮らしく八の字が良くみると鳩が向かい合っているように書かれています。
何回か参拝していますが御朱印は御朱印帖へ直書きするのがポリシーのようです。
書き手の方が参拝者に書き置きを断っているのを何回か見た事があります。
とは言え御朱印帖さえ持参すれば神社仏閣が混在していようと快く書いてくださいます。
東大寺の勧進所八幡殿にある快慶作「僧形八幡神坐像」はもともとこちらの御神体だったようです。
僧形八幡神なんて神仏習合のいい例のような気がします。
因みに京都・東寺では南無八幡大菩薩という御朱印が頂けます。
八幡様は最も神仏習合の進んだ神様なんだそうです。
百人一首にも読まれた歴史のある八幡宮神社。
少し階段を登る必要はありますが、ひっそりとしていて美しいです。
御祭神:応神天皇/姫大神/仲哀天皇/神功皇后/仁徳天皇創建は天平勝宝元年(749)と伝えられています。
東大寺、及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の鎮守として勧請されました。
当初は平城宮南の梨原宮に鎮座したと言われ、梨原宮の所在地は不明ですが、奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊宮跡庭園がその跡と言われています。
建長2年(1250)、北条時頼によって東大寺千手院の跡地である現在地に移されました。
拝:2021/07/16
手向山八幡宮と言えば、自分にはどうしても宇佐八幡宮を思いだす。
この八幡宮は南都焼討で焼失したが、鎌倉期および江戸期に再建された。
境内に人の流れは少ない。
建物には本殿、宝庫など重要文化財が残っており、味わい深い。
少し上っていく必要があるためか、こちらに来る人は少なそうです。
壁絵がなんだかすごかったです。
百人一首にも読まれた歴史のある八幡宮。
絵馬の柄も変わっている。
藤原定家の撰による「小倉百人一首」の菅原道真の「此の度は 幣(ぬさ)もとりあえず 手向山もみじの錦 神の間に間に」歌で知られる神社ですが、旅の安全を祈願する御幣(ぬさ=紙をジグザクに折った神官がお祓いなどに降るもの)を納めずに旅に出た自分の安全を願うもので、平安貴族の篤い信仰を得ていたことがわかる一首です。
江戸時代までの「神仏混淆(しんぶつこんこう)」の姿を留めるものです。
東大寺は、代々の別当(住職にあたる)が皇親である「源氏」が務める「源氏」の寺です。
(そのため、「源平の戦い」では、平氏に攻められて「大仏」などを焼かれています。
)源氏ゆかりの「八幡宮」であるのもそのためです。
「八幡宮」は、そもそも成立の過程から「仏教」と「神道」の混然一体のものです。
「八幡神」は、日本の神のようでもあり、仏教の仏のようなものなので「神仏分離」ができないのですが、明治の元勲たちは「神道」を支配に利用するために、無茶をしたんですね。
百人一首で有名な菅原道真の謳、「このたびは、弊もとりあえず、手向山、紅葉の錦、神のまにまに」の舞台とされる、手向山八幡宮です。
しかしながら、整備の行き届いた奈良公園一帯の中で、こちらだけは荒廃した感が否めません。
どうしてでしょう?
奈良公園内にある神社さん。
大仏殿の参拝後に出口から左に向かえばすぐにりっぱな参道です。
二月堂などを巡っていればいつの間にか着いていると思います。
可愛らしい鳩の紋が乙女心をくすぐるのか人気があるようです。
神社さん自身も自覚があるのかグッズ展開なさってらっしゃいますが、参拝者の何割があの缶バッジやミラーに気づいているのか気になります。
鳩の紋もですが、良い狛犬もおります。
ただ、拝殿脇の阿犬の方には謎に規制線(まあ、細めのロープなんですが)が張られていて良いカンジに近づけません。
また、更に奥に、あの東大寺南大門の金剛力士像を作った運慶の手によると云われている狛犬もいます。
こちらは更に近づけません。
姿を確認するのがせいぜいです。
頑張って観察した結果「崇道天皇社の狛犬の原型ってこんなカンジなのかな〜」といった風貌?なのかな?参拝の際には是非ご覧ください。
木彫りの模型も初穂料35000円で授与できます。
ほかにも、鹿の角のようなツノを生やした吽犬の狛犬もいました。
奈良っぽい。
しかしながらいかんせん近づけません。
東大寺大仏殿、春日大社といった名観光地の影に隠れていますが、立派な神社です。
良い狛犬もたくさんいます。
東大寺大仏殿守護の為の八幡古社百人一首にも菅原道真が詠んだ当社の詩があります。
鳩の紋があちこちに見られました。
八幡さんの目印のようです。
そうえいば、鎌倉の鶴岡八幡宮にも鳩がいます。
確か鳩サブレも、元をただせば八幡宮の鳩だったように思います。
眼下の東大寺を見守り続けている神様です。
東大寺の中門からまっすぐ坂を進んでいくとこの神社があります。
すぐ近くに三月堂があります。
この神社は、東大寺建立に当たり、宇佐八幡より守護神として勧請されたものです。
もとは別のところにありましたが、源平合戦で焼失し、鎌倉時代にこの地に再建されたそうです。
絵馬がかわいく、八幡さんの神使のハトが向かい合っていて、間がハートになっています。
東大寺 以外で、かなり御朱印を頂けるスポットが多々あり、此方の手向山八幡宮が一番の高台に鎮座されているので、スタート地点と考えて参拝したら、御丁寧に次はこの順路がベストですよ、的な親切な会話をしながら、でした。
ありがとうございました。
大きな神社ですが、東大寺に圧倒されてあまり存在感がありません。
お参りしてきました。
HPも充実してなく、由来も境内案内もありません。
八幡宮だから同じかも知れませんが、もっとアピールしてもよいのではと思います。
東大寺の守護のために宇佐から勘請された八幡さまです。
そのためか、御朱印も威厳があります。
手向山八幡は東大寺守護の神様。
ここの御紋は向かい鳩。
最近は、見て見てっ!胸の部分がハートになってる!しかも鳩とハートのダブルミーニング‼️っていうウケ方してるみたいで。
若宮さまの前に神楽所があり、ほとんど消えかけてますが、源頼光鬼退治が描かれてあり、自分的には、見どころになってます。
境内のあちこちに鳩が見られました。
菅原道真が腰を掛けたという石もありました。
東大寺三月堂のすぐ前に鳥居が建っています。
長細い境内を抜ければ、そのまま若草山のふもとへ。
東大寺を守る神社でありながら、その存在はあまり知られていないように思います。
祭神 応神天皇 姫大神 仲哀天皇 神功皇后 仁徳天皇 紅葉の名所として知られる手向山に鎮座する手向山八幡宮は、749年(天平勝宝元年)、東大寺の守護神として宇佐八幡宮から勧請され「鎮守八幡宮」と呼ばれていた。
当初は平城宮南の梨原宮に創建され、その後に東大寺の大仏殿南方に移されたという。
1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討によって焼失するが、東大寺大勧進重源によって1188年(文治4年)に再建され、10年後の1197年(建久8年)には新造の社殿への遷宮が行われている。
その後、1250年(建長2年)、鎌倉幕府五代執権の北条時頼によって現在の地に再建された。
明治の神仏分離によって東大寺から独立し、御神体だった快慶作の「僧形八幡神坐像」(国宝)は、東大寺の勧進所八幡殿に安置されている。
古今和歌集や百人一首にも選ばれた菅原道真公の『このたびは幣も取りあへず手向山紅葉のにしき神のまにまに』の舞台。
この歌の通り、秋には神へ捧げる素晴らしい錦秋を堪能できる。
大きな境内ではないが宇佐八幡宮からの一番最初の分社であり非常に歴史は古い。
神紋は武運を司る八幡らしく向い鳩で愛くるしい。
銀杏の雌の木があるので、足元に注意が必要。
造仏スポンサー749年、「大仏の造立に助力する」旨の八幡神の神託に従い、宇佐八幡宮の巫女・大神杜女と神官・大神田麻呂が平城京に入京。
鎮守として八幡神が祀られ、二人と宇佐八幡宮は多大な褒賞を受けることとなります。
お金のかかる大仏造立に対して八幡勢力の支援はまさに渡りに船でした。
しかしその5年後、巫女と神官の両名は呪術を用いたかどで流罪、宇佐の八幡神より再び神託が下ります。
「前の神託ね、あれウソだから」なぜ色々バレたのかは分かりませんが、自らに不利な神託を出させられた宇佐八幡宮も多大な褒賞を返上します。
ただしスポンサー契約は有効で朝廷丸儲け。
さらに766年、道鏡が法王に就いたこの年、流罪だった二人もしれっと宇佐八幡宮に復帰、再び神託を用い『宇佐八幡宮神託事件』を引き起こします。
つまりこの二人、中央の権力者に都合の良い神託を出しては褒美をせしめる神託ビジネス常習犯だったわけです。
そりゃ縁起には”勧請”と書くしかないや。
長いしロクな話じゃないけど、1200年以上経た今も鎮守としてここに在る事実は嘘から出たまことと言うほかないですね。
春日大社から歩いて10分程で到着する手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)です♬手向山ふもとに鎮座する八幡宮で大分県の宇佐神宮から東大寺の守護神として勧請(かんじょう)された有名なお社ですヽ(´▽`)/古今和歌集で「このたびは 幣もとりあえず 手向山 もみじの錦 神のまにまに」と菅原道真が有名な歌を残していますがこちらの手向山がまさにそれです。
悠久の歴史に身も心も任せてみせてはいかがでしょうか♬御朱印:あり。
東大寺の守り神として祀られた神社との事です。
御朱印頂いてまいりました。
こちらの神社はおすすめです。
いつもは、春日大社から二月堂に行くのですが、本日は、東大寺から二月堂、若草山、春日大社に行って、手向山八旛宮も風情があって良かったです。
手向山神社は由緒ある大きな神社と思いますが、整備されているのはほとんど本殿周辺ぐらいで、全体的に御祭神や由緒などの説明が乏しく、いったいどの様な神様にお参りして、何をお願いすれば良いのか分かりません。
以前は参拝客が足を捻挫しそうな参道でしたが、最近になって整備されたことは良かったと思います。
名前 |
手向山八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0742-23-4404 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
東大寺と大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の鎮守神として勧請された由緒正しい神社でもっと注目されても良いはずですが、東大寺の境内にあるため、周辺には東大寺金堂(大仏堂)以外にも二月堂をはじめ派手で魅力のある伽藍が多く、観光客の注目を持っていかれている印象ですしかし、おかげで静かにお詣りできたので神社派には良かったです。