旅行客に、アピールして知名度アップに、つなげたらど...
有料ゾーンは500円を取られます。
ただし、演奏時間は決まってますが、リアルな追分節を聞くことができます。
これは本当に感動します。
山車と追分歌は別だそうです。
江差にある観光施設。
江差の祭りや江差の民謡である江差追分のことを学べる施設。
展示も映像もとても素晴らしかった。
また、生で江差追分を鑑賞できるのがすごい。
入館料が大人¥500で一瞬、躊躇してしまいました。
お土産売り場だけでも無料で入れると良いと思います。
椅子に座って休憩できるスペースが有料でした。
トイレ休憩に寄る分にはいいと思います。
ぜひ一度、生の江差追分を堪能してみて下さい。
入場料をお支払しても、会館内の江差追分と姥神大神宮にまつわる山車の展示を見学できるのでおとく🉐です。
迫力満点三浦春馬さんも訪問されたみたいで写真がありました。
江差に来た時は必ず此処でにしん蕎麦を食べて帰ります。
甘辛のにしんが癖になります。
今のコロナの時期だからこそ、旅行客に、アピールして知名度アップに、つなげたらどうですか?お金のワンコインとは、頂けません。
と、思いました。
学校で見学にきました。
スタッフが一つ一つ説明して下さいました。
江差追分の実演は感動的でした。
本物の江差追分を初めて聞きました。
とても良かった。
本物の山車が展示されています。
コロナ禍で音声案内スイッチが使用出来ない等の不便はあります。
500円かかりますが、名人による生の江差追分やソーラン節等が聴けたのでお得でした。
ここと、近くにある姥神大神宮参拝はセットですね。
追分名人によるミニライブは必ず入るべき。
ひとつの建物に江差追分会館と江差山車会館が同居しています。
江差追分会館は江差追分に関心がないと楽しめません。
江差山車会館のほうですが、「江差の五月は江戸にもない」と謳われたほどの町ですから、秩父や高山なんざ目じゃないぜ的な、絢爛豪華な山車を期待していたのですが、わりと普通です。
迫力も装飾も目を見張るほどのものではありません。
武田信玄や楠木正成と言った、江差とは縁もゆかりもない武将の像が山車に鎮座しているのにも違和感しか感じません。
それでも通りを引き回されていれば勇壮なのでしょうが、建物内に安置されている様はなんともきまりが悪く、舞台裏でマスクをとって休憩しているヒーローショーのヒーローのようです。
江差まで来たなら外せないスポットだとはおもいますが、ここを見るために江差まで来るのは、どこでもドアが開発されてからにしたほうが良いと思います。
初めて津軽追分の生歌を聞きました。
この日は歴代チャンピオンが唄ってくださいました。
畳の席に座布団やいす席があり、自由に選べます。
車いすでも問題ないです。
100名くらいは入るのでしょうか、この日は40名程でほとんどがご年配のご夫婦です。
山車の展示場には2台の山車があり普段間近に見ることがないので、楽しめました。
江差追分は日本全国と関わりがあったことがよく分かります。
江差追分の実演良かったです 記念撮影も 展示も豊富で係の人親切。
江差町の歴史を学ぶことが出来ます。
江差山車会館の山車は、素晴らしいです。
姥神大神宮渡御祭の映像などもおり、ここに来て見る価値のある素晴らしい施設ですね。
【江差追分会館】箱館戦争関連を追いかけて来ましたが、一服し江差追分を聞きました。
15代名人の浅沼春義さんの20分のステージ。
毎日3回休みなしに公演しているそうです。
素晴らしい声に聞き惚れました。
終了後、尺八・三味線の先生と記念写真。
あの広い会場に観客4人は もったいない。
併設されている山車会館も素晴らしい。
8月の姥神大神宮の祭りに江差町内から13台の山車が出ますが、うち2台を展示しています。
豪華なものです。
江差の5月は江戸にも無い。
と言われたほど繁栄し文化的にも北前船による本州との交流が今でも形に残っています。
良いものを見せてもらいました😄
百畳敷の桟敷席での毎日3回、「江差追分」を実演や江差追分の歴史をたどる数多くの貴重な資料を集めた資料展示室などがある📖江差追分前唄 国をはなれて 蝦夷地が島へヤンサノェー/いくよねざめの 波まくら/朝なタなに聞こゆるものはネ~/友呼ぶかもめと 波の音本唄 かもめの なく音に ふと目をさまし/あれが蝦夷地の 山かいな後唄 沖でかもめの なく声聞けばネ~/船乗り稼業は やめられぬ前唄 松前江差の 津花の浜で ヤンサノェー/すいた同志の なき別れ/ついていく気は やまやまなれどネ~/女通さぬ 場所がある本唄 忍路高島 およびもないが/せめて歌棄 磯谷まで後唄 蝦夷地海路の おかもい様はネ~/なぜに女の 足とめる信濃国追分宿の馬子唄が、北前船の船頭たちによって伝わったものと、越後松坂くずしが謙良節として唄われていたものが融合されたとされている。
今の江差追分の原形として大成させたのは、寛永年間,南部国の出身で、謙良節の名手であった座頭の佐之市によるものであると云われている。
その後、歌い継がれる間に幾多の変遷を経て、浜小屋節や新地節など多くの流派が発生した。
1908年(明治41年)に、追分節の統一を図る動きが生まれ、追分節正調研究会が発足し、各派の師匠たちが論議を重ねた結果、正調追分節の基礎が固まった📖義経伝説1189年(文治5)年の秋、奥州を逃れた義経主従は、一葉の軽舟に身を托して、はるばる蝦夷地に渡ってきた。
積丹半島の辺りに上陸した義経は、まず長老のシタカベを従え、しばらく彼の地に滞在した。
やがて、シタカベの娘のフミキ姫は、許婚者のある身ながらひそかに義経を恋い慕うようになった。
しかし、大望のある身の義経は、婦女の情におぼれることなく、ある日ひそかに舟を出してさらに奥地をめざした。
狂気のように後を追うフミキ姫を、父のシタカベは邪恋に狂う女として神威岬の巌頭で斬り捨てた。
後に、かつての許婚者がその場を訪れて、赤い花の咲いた美しい草を見つけ、草笛を造って吹いてみると、自ら一曲の悲痛な調べを奏でた。
それが、今日の江差追分の始まりである。
より古い形のものは、話の後段に至って「巌頭に立ったアイヌの美姫(一説にチャレンカ)が、沖を行く義経の舟を見て嫉妬のあまり、この後、和人の舟が婦女を載せて沖を通ったならば、必ずこれを覆没ささると、呪いの言葉を遺して身を投げた」という風になっている📖忍路高島元禄初期以来と伝えられる神威岬の女人通行禁制は、不幸にして迷信深い水主(かこ)達によって幕末の頃まで堅く守られ、後世、幾多の愛別離苦の悲劇を生むもとになった。
では、なぜこれほど長い間、和人が奥場所へ定住することをさまたげる、このような禁制が行われたのであろうか。
そこには松前地の繁栄のみを守ろうとし、奥地における支配の内情が外部にもれることを恐れた松前藩のこそくな政策があった。
そのような施政の下におかれ、過酷な労働を余儀なくされた人々こそ災難であったといわなければならない。
つまり、大勢の出稼ぎ漁夫やその家族、小前の百姓達、旅芸人や花街の女といったような下積みの人々である。
江差追分は、何よりも、まず、そのような人々の胸奥からほとばしり出た魂の叫びであった。
それにしても、一つの人を感動させるに足るものが、世に生まれ出てくるためには、何と大きな犠牲を払わなければならないものか、それら無数の先祖の気持ちを思うにつけ暗然とした気持ちにならざるを得ない。
「忍路高島」が唄われ始めた時期については、きわめておぼろげながら推定する手掛かりが全くないわけではない。
つまり、この文句の原型をたどって行くと、天明年間に幕閣で権勢をふるった老中の田沼意次にちなんだ「田沼様には及びもないが、せめてなりたや公方様」という当時の江戸での流行り唄に行きつくからである。
この唄はまもなく地方に移って、越後の新発田あたりでは「新発田五万石およびもないが、せめてなりたやとのさまに」(松坂節)、酒田では「本間様にはおよびもないが、せめてなりたやとのさまに」(酒田節)という風に替え唄として唄われた。
とすれば当然、その延長上に、北海道の「忍路高島」も位置すると考えてよいわけである。
ところで、唄が流行するまでの経緯はどうであれ、単なる羨望の気持ちを表した上記のような唄は、人の心をうつという点で「忍路高島」のもつ迫力には、遠く及ばないのではないだろうか。
所詮、民謡というものは、その時々の人の心の在り所によって、いかようにもその価値、内容が変わり得るものである。
この点に関し、風俗画報所載の関係記事の筆者である山下重民氏は、同誌の中で、「およそ俚謡の人を感動せしむるはその真率なるにあり。
そのことの実際より出るに因るなり。
この追分の一曲、以って証すべし」と述べられている。
最後の方にでてくる、滝田栄ナレーションのビデオを見てたら、途中抜けようと思っていたが、釘付けになるほど感動した。
あまりに感動して一度見てみたくなり、二年続けて本州から見に行きました。
敷居が高いと思ってた江差追分がちょっとでも、本格的にも試してみれる。
皆さんがとても親切。
清潔な施設で1度は行ってみるべき。
一日3回ステージで江差追分を生演奏で聞く事ができます。
観客も一緒に手拍子を打ち一体感を感じました。
二階ではビデオで他の民謡も楽しむことができます。
実は大先生であるおじいちゃんが、気さくに追分の指南をしてくれます。
舞台後の記念写真もうれしい。
館内スタッフがとても親切にガイドしてくれたので追分の歴史、江差の数々のお祭、江差追分の謎の楽譜と節回し、最後に大きな人形を配した山車が見れてお腹いっぱいです。
見応え十分。
時間によってなのか、江差追分も見ることが出来て良かったです。
山車の実物も置いてます。
江差追分を愛する気持ちが伝わる素晴らしい施設、歌のショーでした。
司会の女性がとてもお上手。
名前 |
江差追分会館 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0139-52-0920 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

十数年ぶりに訪れた会館、父と「冷しニシン親子そば」をいただきました。
最高に美味しかった。
ニシンと数の子の組み合わせは内地ではお目にかかれない贅沢な蕎麦でした。
美味しかったです。