松平、稲葉、榊原氏の居城だった場所。
上越城紀行。
高田城は、大坂の陣に備えて、伊達政宗公等に命じて構築された天下普請の大規模な土の城です。
松平忠輝公が入城しました。
再建三重櫓以外は建造物が有りませんが、大規模な土塁と広大な堀が圧巻です。
幕末の殿様は、百五十年統治した徳川四天王榊原康正公を藩祖とする榊原家です。
高田城は、関ヶ原後の大坂方や前田家に備える天下普請の城であり、城域も広大で堀は広く大きな土塁があり、火力戦に対応した堅固な近世城郭です。
明治維新後は、陸軍の第十三師団が設置され、本丸に師団司令部が置かれました。
第十三師団は、謙信公以来の義の精神と雪国の粘り強い越後健児により編成され、シベリア出兵、支那事変、ビルマ戦線等で勇戦敢闘、世界戦史に輝く勇名を称えられています。
城内には、戦没された英霊を祀る忠霊塔もあります。
近くには、移設された師団長官舎が大切に保存されています。
なお、高田城の桜祭は、日本三大夜桜で有名ですが、日本陸軍が植えたのが始まりです。
1614年、徳川家康の六男、松平忠輝公の居城として築かれ、城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗によるもので、石垣はなくすべての曲輪に土塁が採用されていることが特徴です。
堀や土塁の他、天守の代用とされていた三重櫓や春の桜、夏の蓮、極楽橋がみどころです。
2022/10/12高田藩居城。
最後の当主は榊原家。
初代は松平忠輝(1610年)。
現在存在する建屋は3重櫓のみで平成5年建設。
近くにお城の年表が野外展示されています。
本丸の位置は学校になっています。
高田公園第2駐車場(無料、トイレあり)が便利です。
雰囲気の良い城跡だね。
周囲のお濠をゆったり散策しようゼという諸君は所要時間は約60分みておきたいね。
駐車場は無料で広いので安心して駐車できる。
遺構としてはお濠と土塁であり、再建の三重櫓は資料館となっておるのじゃよ(有料)。
続100名城スタンプもそこで押印可能である。
ガッツリ遺構があるという城跡ではないものの雰囲気はよく、何かしら落ち着く城跡であると厳しく断定する。
ご安全に。
高田の歴史を学べることができるとともに、夏になるとお堀にはえている一面の蓮の花を味わえることができます。
昼から夜になるまでゆっくり花見🌸して昼間に見る桜も綺麗だけど、夜桜もまた素晴らしい!
城跡公園として、堀や土塁などの城郭自体はしっかり残っています。
三重櫓も復元されていて、躯体はともかく、中は木造的な感じで雰囲気も出ています。
一時期、陸軍の駐屯地となっていたようで、その時にいろいろとなくなってしまったようです。
西側の堀は蓮の花の見所となっていて、皆さん写真を撮っていました。
市民のいこいの場として羨ましいところです。
極楽橋を渡り、本丸内に入るとかなり雪が残っていました。
左手に進むと復元された三重の櫓があり、入るのは310円かかります。
堀の西や南から見る櫓はとてもきれいです。
春の桜や夏の蓮の花がきれいで、夜桜は非常に有名です。
徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請により築かれたお城です。
天下普請であるにも関わらず天守が築かれず石垣も使われず、土塁作りといういう構造です。
ただし堀は広く水をたたえています。
現状は復元された天守代用の三重櫓が目を引きます。
続100名城スタンプラリーで訪問。
櫓は復元された物ですが良い雰囲気です。
桜の季節には何度か訪れたことはありますが、秋に来たのははじめてでした。
お城に桜のイメージでしたが、桜紅葉も趣があっていいですね‼️
高田城(たかだじょう)は、現在の新潟県上越市本城(もとしろ)町にあった日本の城である。
「鮫ヶ城」の別名が市民によく膾炙している。
徳川家康の六男、松平忠輝(越後少将家)の居城として天下普請によって造られた。
城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗である。
高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城である。
約230メートルから約220メートル四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用した。
すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれなかった。
低湿地に築城されたため排水設備が重視され、城地には現在の技術水準から見ても遜色ない暗渠が張り巡らされていた。
天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用とした。
当時の三重櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている。
明治以降、旧陸軍第13師団の駐屯地司令部として使用するために大規模な土塁の撤去、堀の埋め立てが行われ、旧城地の東半分は旧状をとどめていない。
本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は公園として整備されている。
2017年には続日本100名城に選定された。
伊達政宗を現場総監督とした天下普請という名の各藩奉仕のJV公共工事により、半年余りでほぼ完成という突貫工事で造られたのもあって曲輪が石垣ではなく土塁で造られた城です。
江戸時代に造られた城郭にしては、土塁というのが少々時代遅れの感は否めませんが、趣があって良いのではないかと思います。
土塁の城郭なので、廃城令後は他城の様に本丸以外安易に破壊されがちですが、これだけ残っているだけでも十分でしょう。
復興された御三階櫓(三重櫓)も、それなりにマッチして良いかと思います。
資料館と天守に少し距離があります。
天下普請による壮大な本丸御殿や本城御門を遺構がまったくないからこそ想像に思いを馳せて歩く楽しみのある城だと思います。
松平、稲葉、榊原氏の居城だった場所。
極楽橋を渡った正面にあります。
橋付近には行田の蓮もありました。
今日の満開の夜桜は、ピンク色が濃くて綺麗でした。
グリーンのお城のライトアップが実に素晴らしかった。
一度は、訪れて見るものですね。
名前 |
高田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
お堀が広くて綺麗でした。
駐車場も見つけやすくて広いです。