正面に京都タワーが大きく見える。
京都の五条の浄雲寺に墓参りに行ってから京都駅に向かう途中にあります。
前から長曽我部盛親公の墓参りをしたいと思っていましたが、お彼岸の今日、行きました。
お墓の一番奥にあります。
誰でもお参り可能です。
境内は広くなくおまけに長曽我部盛親公の墓の地図が立ててあるので直ぐに場所はわかります。
墓は意外と小さくお酒が備えてありました。
長曽我部盛親公は関ヶ原の合戦で西軍について領地を失った時に京都で寺小屋で教えていた時に蓮光上人と親交があり、大坂の陣で敗れた盛親公の首をもらい受け弔ったらしいです。
他にも見所がありますが、他の方の投稿に詳しいので省略します。
江戸時代の「六条河原(刑場)」はこの辺りまで広がっていたと文献で読みました。
歴史ある寺院です。
知恩院を本山とする浄土宗の寺で、「負別如来(おいわけにょらい)」と呼ばれる本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)と地蔵堂に安置される「駒止(こまどめ)地蔵」で知られている。
本堂に祀(まつ)られる本尊は、鎌倉時代を代表する仏師、快慶(かいけい)の作と伝えられる。
その昔、快慶が東国の僧の求めに応じて阿弥陀如来を作った際、あまりの尊い出来映えに自ら護持したいという気持ちを止められず、僧の姿を追いかけた。
山科(やましな)の辺りで僧に追いつき懇願すると、僧も大いに感銘し、箱を開いたところ、仏像が二体に分かれていたという。
二人は感涙し、それぞれ一体を背負って東西に別れたと伝えられる。
この本尊はその一体であるといわれ、「負別山(おいわけさん)」という山号(さんごう)もこれにちなんだものである。
僧が持ち帰ったもう一体の仏像は、「笈分(おいわけ)如来」と称され、仙台市泉区にある阿弥陀堂に安置されている。
駒止地蔵は弘法大師(空海)の作といわれ、もとは六条河原の処刑場に祀られていたと伝えられる。
鴨川の氾濫(はんらん)で埋もれていたが、平清盛が乗る駒(馬)が六条河原に差し掛かったとき、急に馬が動かなくなり、その場所を掘ってみると、この地蔵が出てきたことからその名が付いたという。
境内には、関ヶ原の合戦や大坂夏の陣で活躍した武将、長曽我部盛親(ちょうそかべ・もりちか)の墓がある。
季節によりお花が綺麗、最近珍しいメダカも、睡蓮の葉陰に見え隠れ。
お盆のお参りで行きました。
いつも良い対応をしてくださいます。
正面に京都タワーが大きく見える。
え??ここは烏丸通か、狸に化かされているのか。
なぞの富小路通に面している。
先祖の菩提寺です。
観光にはあまり向かないかもしれません。
2018年秋の浄土宗寺院特別公開で拝観しました。
今回の公開で長曽我部盛親の五輪供養搭も見せて頂きました。
大阪夏の陣で豊臣側について敗れた長曽我部盛親は、京の六条河原で斬首されましたが、縁のあった蓮光上人が京都所司代に願い出、この寺に埋葬されたとのこと。
その他、本尊の負別如来、駒止地蔵尊も拝ませて頂きました。
お寺は河原町五条から一つ西の信号(富小路)を300メートルほど下がった所で、「六条河原」はたしかにすぐ近くです。
大阪の陣で活躍した長曽我部盛親公の墓所があります。
残念ながら門が閉まっていたので中には入れませんでした。
快慶作の負別阿弥陀如来がご本尊。
浄土宗寺院。
参拝時、桜が満開でした。
ソメイヨシノではありませんが。
御住職、良い方でした。
戦国大名の長宗我部家のお墓もこちらにあります。
長宗我部盛親の菩提寺。
2015年3月21日訪問。
早咲きの桜があり、大変見事でした。
御朱印帳に、長宗我部さん墓所の印をサービスで押してもらいました。
長宗我部盛親のお墓があるらしい。
是非とも行ってみたい~
名前 |
蓮光寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-351-3066 |
住所 |
〒600-8119 京都府京都市下京区六条上ル本塩竈町534 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
扉が閉まっており、中に入ることは叶いませんでした。