優れた職人による見事な透かし彫り!
この神社は、源頼朝にゆかりがあるそうです。
那須野で狩りをした頼朝が鎌倉へ戻る途中、この辺りの烏川河畔で休息しました。
その折り、広々とした河原の美しさに頼朝は感動し「まるで鎌倉の由比ヶ浜のようだ」と褒め称えたそうです。
そして後に、家臣の安達盛長に命じて、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を移して、神社を創建したのだとか(*^^*)なお角渕という地名は…その昔、烏川の流れによって角のような岸辺ができ、そこが船着き場として利用され、角渕と呼ばれるようになったということです(^_^ゞ
当神社は玉村八幡宮の元宮です。
元来角渕地区は水陸交通の要地で早くから開け、鎌倉時代の初め、建久四年(1193)源頼朝が那須野で狩りをした帰りに角渕で休み、烏川の風景が鎌倉の由比ヶ浜に似ているというので、建久六年(1195)、上野奉行安達藤九郎盛長に命じ、鶴岡八幡宮の別御霊を勧請したのが、角渕八幡宮のはじめといわれ、中世の戦火に焼かれるまでは、薬師堂をはじめ塔楼数棟、栄華をほこったといわれています。
八百年以上の歴史の中で盛衰を繰り返して来ましたが村人は鎮守様として敬い、親しみ、守って来ました。
(境内案内板・記念碑より抜粋)立ち並ぶ事勝神や猿田彦大神、庚申塔などの石塔の中に、古峯神社(倭建命)、戸隠神社(天手力雄命)、熊野神社(伊邪那岐命、伊邪那美命、櫛御気野命)、石神社(布都御魂命)、稲荷神社(倉稲魂命)の石祠が説明付きで立っています。
拝殿の天井絵が見事で、本殿の彫刻もすばらしいものです。
名前 |
角渕八幡宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.9 |
御朱印なし。