2023/4/21京都市内の繁華街に大きな阿弥陀如...
御本尊:阿弥陀如来坐像宗派:浄土宗西山深草派創建は天智天皇6年(667)と伝わり、第38代・天智天皇の勅願により、奈良に建立されたのが起源です。
当初の宗派は三論宗でしたが、後に法相宗の興福寺所有となり、平安時代には清少納言や和泉式部が帰依し、女人往生の寺となりました。
その後、誓願寺は法相宗の蔵俊僧都が法然上人に譲ったことにより浄土宗の所属となり、京の一条小川に移転します。
そこに法然上人の弟子である西山上人証空が入り、浄土宗西山派が成立して行きました。
後に、弟子の立信が深草の地に真宗院を建立し、更に立信自らの考えをも取り入れて深草流の教えを確立します。
天正元年(1573)の火災で荒廃してしまいましたが、天正19年(1591)2月には豊臣秀吉の命を受け現在の新京極へ移転し、秀吉の側室であった京極竜子とその生家の京極氏から広い敷地が与えられます。
安永年間(1772-1781)には塔頭18ヵ寺の他、三重塔も存在し、境内には芝居小屋、見せ物小屋が立ち並んでいましたが、幾度となく大火に罹り、さらに明治維新に続く廃仏毀釈や明治5年(1872)から始まった新京極通の整備で寺地を公収され、境内は狭隘となりました。
また、現在の御本尊である阿弥陀如来坐像は元々、石清水八幡宮にあり、八幡神の本地仏として安置されていたもので、神仏分離によって明治2年(1869)に当寺に移されて御本尊となりました。
拝:2024/03/23
新京極通商店街をぶらぶらしていたら見つけて参拝させて頂きました誓願寺は飛鳥時代、天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建もともとは奈良にあったのですが、鎌倉初期に京都の一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の寺町整備に際して現在の三条寺町の地に移された浄土宗西山深草派の総本山です物凄く歴史のあるお寺さんみたいですねちなみに、徒歩で5分圏内に本能寺があります。
京都・新京極のろっくんプラザ(三角広場)前に建つお寺。
門のところに大きな顔出しパネルがあるので観光寺院のようですが、実際は7世紀の創建になる由緒あるお寺です。
豊臣秀吉によって現在地に移されたのが天正19年(1591)。
小ぢんまりした現在の境内からは想像しにくいですが、最盛期には6500坪の敷地に18の山内寺院を有する巨刹だったとか。
現在は浄土宗西山深草派総本山。
普段は静かに参拝ができるお寺です。
それにしても顔出しパネルは違和感ありますねえ・・
新京極通商店街に面しているお寺です。
外国人観光客の方が、よくお参りに来られているのを目にします。
新西国三十三所の霊場であり、こちらには何度かお参りさせていただいています。
門をくぐると、左手に手水舎があります。
手と口を清め、本堂にお参りします。
本堂の外からも見える仏様は、とても立派です。
人が少ないので、のんびりと座ってお参りできるのが嬉しいです。
御朱印は、本堂に入って左の窓口で書いていただけます。
2023/4/21京都市内の繁華街に大きな阿弥陀如来様を祀った寺院が有ります。
天智天皇の勅願で、恵隠の開山、奈良に建てられたのが京都へ、そして1591年、現在地に移転、浄土宗西山派深草宗の総本山となる。
法然上人の流れや一遍上人の名前、又国宝の一遍聖絵の釈迦堂、鷹峯金連寺の四條道場からの阿弥陀如来様はここぞと思い参拝しました。
又清少納言や和泉式部が仏門に入り、極楽浄土に生まれ変わるお寺としても有名で、女性の参拝者が多く訪れます。
境内には自由に入れ本堂も開いてました。
丁度、住職のお務めの時間か、南無阿弥陀仏の唱えに合わせ、参拝者も並んで手を合わせました。
ご利益は芸事上達、扇子の塚も有ります。
女性は恋愛成就、一言観音様もいます。
一寸前までは隣に劇場、芸人も多かった様です。
じゃお後もよろしいようで👋
芸事にご利益が有るそうです。
大仏様が素晴らしい!眼力有ります!
10月8日は奉納落語会をやってます大きな阿弥陀さんがおられます。
人通りの多い路地から少し入った場所にあります。
阿弥陀如来様が鎮座されている本堂で落ち着いて御参りできました。
御朱印も頂けます。
またゆっくりと御参りしたいと思います。
商店街通り沿いに在ります。
阿弥陀様が鎮座されてます。
寺町新京極で買い物途中でふらっと初めて寄りました。
本堂には丈六の阿弥陀如来様が鎮座。
素敵すぎる‼️椅子も置いてあって居心地良く長居してしまいました。
京都の繁華街の角というかこのお寺のために道が曲がったところにあるランドマークになりやすいお寺です。
とても綺麗な字の御朱印をいただきました。
京都の町中にある、穏やかなお寺です。
階段の上、本堂左手にて御朱印をいただけます。
まずは、美しいご本尊にお詣りをすると、気持ちが穏やかになれます。
京都にきたなーと、感じるひとときです。
閉山10分前に伺い、お参りをして、いざ御朱印をと受付に向かうと静かで暗い。
ふと気付くとお坊様がいらしたので、「あの~、御朱印を…」と声をかけたところ、「今、片付けたところですが、せっかくいらしたのですからどうぞ」と快く書いてくださいました。
ありがとうございました(。-人-。)
新西国霊場札所。
西国霊場の六角堂から歩いてすぐなのでセットでお参りがよろしいかと。
アーケードのなかにあるのでモチロン駐車場はなしです。
六角堂の地下パーキングに置いてあわせて回ればよろしいかと。
新西国三十三霊場 第十五番札所 誓願寺京都市中京区 新京極の真ん中。
1360年以上の長い歴史のある名刹である 当初は大きな敷地ともち多くの貴族武家が参拝したお寺である 今も随所に面影を残す一等地に鎮座されているお寺です。
法然上人第二十番札所です。
京極のアーケードにありますが、堂内はとても落ち着いた空間で阿弥陀様をゆっくりと拝めます。
20年12月22日に訪れました。
『誓願寺』は平安時代から清少納言、和泉式部、豊臣秀吉の側室・松の丸殿ほか女性の信仰をあつめ、女性往生の寺としても名高いです。
御本尊・阿弥陀如来坐像は高さ4.85メートルあります。
ご利益は芸事上達、恋愛成就、心願成就です。
御朱印をいただきました。
御朱印は本堂に入って左側でいただきます。
秀吉お気に入りの側室の一人で、淀殿のいとこあたる京極竜子(松の丸殿)が大阪夏の陣の後、ここにいたとの事。
竜子と淀殿には、醍醐の花見の席で盃を受ける順番を巡って争った、という有名なエピソードが残されている。
「大坂夏の陣」の後、幼くして処刑された秀頼の子である国松の遺体を埋葬し、自分の墓もその隣にある。
幼い国松を生前から可愛がっていた様だ。
2人の墓は秀吉の墓がある山の麓にある。
長い階段に向かって左に今もある。
単純にイイねスポット。
お参りしてください。
せいがんじ⛩️です商店街に近いので、参拝しやすく、ついつい親近感がわいてきます。
枕草子の作者 清少納言は、ここで出家し尼になり、ここに葬られたという。
落語の元祖 僧 策伝の寺でもある。
恋の歌人 和泉式部ゆかりの寺でもあり能「誓願寺」が作られた。
あらすじ:一遍上人(ワキ)の一行が京都 誓願寺で念仏の教えを弘め、救済を証明する札を人々に配っていると、群衆に交じって一人の女(前シテ)が現れる。
札に書かれた「六十万人決定往生」の文言を不審がる女。
一遍はそんな彼女へ、これは念仏の教えの正しさを保証する熊野権現の託宣の言葉だと教え、あまねく一切の存在へと開かれた浄土教の真髄を明かす。
その言葉を聞いて深く帰依した女は、やがて、堂内の額を上人自筆の名号に代えてくれと願い出ると、自らを和泉式部の化身だと明かし、境内の墓塔へ姿を消すのだった。
額を書き上げた一遍。
するとそこへ、今や歌舞の菩薩と変じた和泉式部の尊霊(後シテ)が現れた。
式部は、罪や穢れを抱えた者すらもが救われるという念仏の功徳を讃嘆して舞を舞うと、上人の徳を讃え、現れた聖衆とともに一遍自筆の名号を拝むのだった。
大きな仏像が安置されている浄土宗西山深草派総本山です。
御本尊は阿弥陀如来です。
この阿弥陀如来は大きて立地です。
いつも参拝の時に阿弥陀如来と目が合う様に感じます。
まぁ、癒やされるので良いです。
札所としては、洛陽六阿弥陀巡り・洛陽三十三ヶ所観音霊場・法然上人二十五霊場・新西国三十三所霊場になります。
また、霊場ではありませんが、新京極商店街振興組合の企画による新京極御朱印めぐりの対象になります。
ですから御朱印の種類はたくさん有ります。
本堂に入って左側に御朱印授与の場所が有ります。
ご不在はベルで呼ぶと対応して頂けます。
戦国時代のご住職の策伝上人は、小難しくなりがちな説法をわかりやすく笑い話を入れ説かれた。
この説法をまとめた本がが「醒睡笑」になります。
これをネタにして落語が作られたので落語の祖と呼ばれています。
商店街の途中に突然現れるお寺。
寺の正面に憩いの場があり、地元の人が集っていますが、ここに入る人は殆どいません。
入ってすぐに階段があって大きな仏像がある派手さもありますが歴史を持つ由緒あるお寺です。
新京極の商店街アーケードに突如現れるお寺。
新西国三十三箇所 第15番。
洛陽三十三所観音霊場 第2番。
洛陽六阿弥陀霊場 第6番。
法然上人二十五霊場 第20番。
講談、落語、漫才のお寺として有名。
誓願寺は、浄土宗西山三派深草派で、浄土宗西山三派は、永観堂がある。
新京極通、町のど真ん中にある。
町の中にある本山。
開山は、大化の改新、中大兄皇子、奈良に創建されて、平安京に伴って、京都に移った。
明治時代には、清水寺とか観光寺院の方が早く復興した。
当時の副知事が誓願寺の地を削って、新京極通の繁華街ができた。
当時、境内には夜店などがあって、人々にとっては、誓願寺が遊び場だった。
ご本尊は阿弥陀如来で、石清水八幡宮の像が、明治時代の神仏分離で、誓願寺に移ってきた。
ご本尊に向かって、右は善導大師、左は法然上人。
内陣右手側には、十一面観世音菩薩像(1メートルほどか)。
内陣左手側には、西山上人。
内陣上部にかかる扁額「南無阿弥陀佛」は、一遍上人の字。
平安時代、和泉式部の娘が先になくなる、ある高僧に、誓願寺に行って念仏を唱えなさい、と言われて、和泉式部は誓願寺で亡くなった。
落語の元祖、安楽庵 策伝上人。
伊藤若冲の涅槃図(レプリカ)は、二股の大根が主役で、周りは野菜。
和泉式部は、石清水八幡宮に行ったら、長いこと神様をやっているので、仏のことは忘れたので、誓願寺に行きなさい、と言われた、と堂内の案内に書かれている。
お半長右衛門(歌舞伎)の墓がある。
(18/01/02)本尊「阿弥陀如来」(京洛六阿弥陀 第6番札所:和泉式部印追加)洛陽三十三観音霊場 第2番札所「大悲尊」法然上人二十五霊場 第20番札所「圓光大師」新西国霊場 第15番札所「大悲尊」西山国師霊場 第9番札所「西山国師」慈摂大師真盛上人二十五霊場 第6番札所「慈摂大師」6種類の御朱印をいただきました。
(15/09/23)本尊「阿弥陀如来」(京洛六阿弥陀 第6番札所)洛陽三十三観音霊場 第2番札所「大悲尊」(再興十周年印)法然上人二十五霊場 第20番札所「圓光大師」新西国霊場 第15番札所「大悲尊」西山国師霊場 第9番札所「西山国師」慈摂大師真盛上人二十五霊場 第6番札所「慈摂大師」6種類の御朱印をいただきました。
オリジナル御朱印帳を購入しました。
オリジナル御朱印帳(和泉式部)があります。
浄土宗西山深草派の寺院。
寺格:総本山本尊:阿弥陀如来落語発祥の寺とも言われている。
阪急電車京都線:河原町駅より550m。
市営バス:河原町三条バス停より300m。
新西国三十三観音巡りで訪れました。
6種類の御朱印があって、選べるようになっています。
紫式部の御朱印帳も素敵です😊
朝6時半から鐘の音と共にお勤めがなされ、まだ静まり返る早朝の繁華街に清々しく響き渡ります。
京都有数の繁華街に在り、広く開放された門前より御本尊の阿弥陀如来さまを拝顔できます。
御堂内へも自由にあがらせていただけ、しばしのお参り。
迷子のみちしるべ…この賑やかな地、今も昔も、誓願寺は庶民に身近に開かれた拠りどころであると実感いたしました。
このお寺は、妻の実家のお寺です。
義母は、今年亡くなりました。
義母(貞子) 88歳の義母が泊まりに来ているときに 娘の彼氏が背広で挨拶に来た 「同棲を許してください」と言う 本も買って何度も練習したらしい 「嬉しくて泣くのはいいが 悲しくて泣かせないでくれ」 私はそれだけを言った 二度目の言葉だった 耳が遠く名前も思い出せない義母は お膳に畏まっている私たちの様子を じっと見ている 彼氏が帰ったあとで娘は 筆談で祖母に説明する 北里大学病院で帝王切開して生まれてきた 娘はキャスター付きの鉄の箱に入っていた 運んできた看護婦さんがフタを開ける 「ありゃまあ 赤い子だねぇ~」と私を見て 嬉しそうに笑う 初めての女の孫なのだ 清水洋子ベイビーと小さな腕に 名札が付いている あれから26年嬉しい日々が続いている 自分の家に帰った義母は隣に住んでいる娘に 興奮しながら話を作り上げて話しているらしい 「話は10分の一にして聞いてね」と妻が電話で言う 「ああ とうとう出てゆく日が来るのか」 独白する私がいる
境内に扇塚がある。
能「誓願寺」で、和泉式部が荘厳優美に舞いを舞ったことから「歌舞の菩薩」と崇められ、能楽・舞踏・芸能の人々に芸道上達祈願の寺として信仰を集めたもの。
そんな和泉式部の代表作「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな」(和泉式部)
いろいろイベントなど開いていただいて、凄くありがたいです。
説法なども分かりやすく、相談なども親身になってされていました。
大切な探し物が見つかるお寺。
石柱に探し物を書いた紙を貼ると見つかります。
幼い頃に捨てられた子供が、このお寺の前でお母さんと遂に再開出来た事に由来します。
名前 |
誓願寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-221-0958 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
洛陽三十三所観音霊場第二番札所御本尊:十一面観音菩薩(本堂・脇壇)御詠歌:くちずさみ そのなもながき こがねでら ここあんらくの じょうどなるらん。