清水寺の裏寺にある閑静なお寺です。
迷わないように、清水寺の拝観受付で確認して来ました。
清水寺の本堂から阿弥陀堂~奥の院へ。
奥の院から「泰産寺-子安塔」へ左折します。
子安塔の横道を進むと「清閑寺への鉄門」が見えて来ます。
(要注意-17時閉鎖)10分程歩くと「清閑寺の石標識」上ると「山門」が見え、入山料100円、本堂パンフ100円、見て初めて中山の意味(清水の奧の山路の散歩道)が解りました。
願い有らば あゆみをはこべ清閑寺 庭に誓いの要石あり 誰だ!上手な歌を読んだのは?ここは悲恋の痕跡では?悲恋あと、興味有らば祇王寺へ高倉天皇の皇后は平清盛の三女徳子(後の建令門院)です。
ところが小督局が天皇の寵愛を受け皇女を産んだ事が清盛の逆鱗に触れる。
清盛は皇女を取り下げ、小督局を出家させる為に剃髪、それがこの清閑寺の本堂なのです。
その時の髪の毛で織られた光明真言も残っているそうだ。
高倉天皇は体が弱く、21才で亡くなる。
その時の遺言「私が死んだら局がいる清閑寺に葬ってくれ」…(中は見えないが)山門の手前に六條天皇、高倉天皇廟、願い通り、局の墓塔も横に…境内は小督局の宝筺院塔に小督桜、菅原道真公作の11面観音菩薩(見えない)月照上人と西郷隆盛の密談の茶室郭公邸(今は鐘楼)黒田清輝の訪問、与謝野礼厳の歌碑、等々。
歴史がつまった苔ともみじが美しい、名前の通りの清閑寺でした✌️
高倉天皇の寵愛を受けた側室小督局(こごうのつぼね)がいらしたお寺です高倉天皇の皇后は平清盛の三女・徳子(後の建礼門院)小督局が皇女を産んだことが清盛の逆鱗に触れ、清盛は皇女を取り上げ出家させるため剃髪させたそうです高倉天皇の遺言により清閑寺の隣に高倉天皇陵があります祇王も仏御前もかわいそうだけど小督局も…清盛って奴は。
歌中山(うたのなかやま)清閑寺(せいこんじ)真言宗智山派の寺院です。
御本尊は伝菅原道真作の十一面千手観音、拝観料は100円、セルフ式で、パンフレットも100円セルフ式です。
基本的に境内のみ自由散策する形です。
★さて、徒歩でこちらに参拝するには、清水寺からちょっとしたハイキングコース辿るルートと、東山五条辺りから鳥辺野横のバイパス沿いの歩道を辿るルートがありますが、バイパス沿いを通る際さ必ず山へ向かって左を通らなければなりません。
右の歩道を進むと・・・さて、こちらの寺は平家物語で有名な、高倉天皇から寵愛を受けた小督局(こごうのつぼね)が出家させられた寺としても有名です。
境内には小督局を弔う宝篋印塔が建っている他、京都市街を扇型に見下せる要石なる古のパワースポットがありますので、歴史好きの方やスピリチュアル好きの方にオススメです。
※時々三門が閉ざされていますのでご注意を!
清水寺裏手にある清閑寺。
小さなお寺ではあるが訪れる人も少なくゆっくりと高台にあるこちらで紅葉を愛でる穴場。
平家物語で平清盛の怒りを買って、高倉天皇から引き離された小督局が、出家させられたお寺として知られるが、創建は802年と古く、天台宗のお寺として始まったが、現在は真言宗。
996年には一条天皇の勅願寺となり、1176年には六條院、1181年には高倉院が当寺に葬られ、1213年、隣接する清水寺と境界を争うことが始まった。
1336年に足利尊氏は、新田義貞軍の京都侵入に備え、清閑寺に警護の依頼を行うなど勢力を持っていたが、応仁の乱で伽藍を焼失し、衰退が始まり、明治初期、社寺領上地令で寺領が官有地に編入され、著しく衰退した。
山号は、当寺の真燕僧都が門前で美女を見かけ、俗念により清水寺までの道を尋ねたところ、「見るにだにまよふ心のはかなくてまことの道をいかでしるべき」と歌で返し、姿を消したことに由来する歌中山。
21/03/04、参拝した。
東山区と山科区が接する山中にあり、境内から京都タワーが見えたのは新鮮だった。
創建1200年以上のお寺です。
入り口が分かりにくいかもしれません。
将軍塚へ向かう道路沿いから駐車場を突っ切って進みます。
高倉天皇、六條天皇の御廟から右手の階段を上がったところです。
拝観料は100円必ず納める様に、これでもかというくらい張り紙がありました。
パンフレットをいただく場合は別途100円納めます。
境内はこじんまりとしていますが、苔の美しいお庭が広がっています。
御本尊は拝見できませんので外からお参りします。
高倉天皇と小督局(こごうのつぼね)の物語を始め歴史に名の残る方々にゆかりのあるお寺さんです。
土日は1国を走るイキリモーターサイクルや四輪車の音がうるさいときもありますが、とても長閑なところです。
清水寺にいらしたなら是非こちらにも。
とても小さな、でも眺めのいい高台にある紅葉の穴場です。
特に受付等はないので、門にある竹筒に拝観料100円を入れて見学させて貰いましょう。
バスで行く場合は、五条坂バス停(コンビニ前ではなく、大谷本廟わきの国道沿い)からです。
清水寺の拝観料を払って内部に入った場合は、音羽の滝に行く途中で清水の舞台とは反対方向に登り、小さな門を抜けて林の中の道を5分程度歩くと辿り着きます。
最寄りの清閑寺山ノ内町バス停は、市街地へ戻る方向の停留所に行くのに横断歩道もなく、車がひっきりなしに来る上に中央分離帯が高く、とても跨げる状態ではないので危険です(どこかに反対側へ渡る通路的なものかあるのもしれませんが…)。
なので、バスで行った場合も、帰りは清水寺を通って五条坂などへ戻るルートがいいと思います。
とても眺めのいいところに出るので。
観光寺院では無いようです。
小さく、静かでキレイ。
馬町からは地下道を利用。
横断歩道はありません!。
西郷隆盛さんが入水した時の坊様がここの関係者だったような話しを以前に聞いたような?スミマセン。
紅葉の穴場です。
境内は狭く、飲食禁止ですが、素晴らしい眺望とともにゆったりと過ごせます。
清水寺からちょっとした山道に入り20分程度歩いて到着。
山の上から街を一望、見晴らしの良い場所です。
また綺麗に整ったお庭はとても素敵でした。
平家物語の、悲恋で知られている高倉天皇と小督局ゆかりの由緒あるお寺だそうです。
自分が行った時は人っ子一人居なかったので、かなりの穴場なのではないでしょうか?
清水音羽山の中腹に位置し、東大路から京都女子大の坂を上り、一号線の高架をくぐり30分くらいするとお寺につきます。
階段を登り小さな山門をくぐると、小さいですが、きれいに整備された境内があります。
モミジが多いので春や秋はとてもきれいと思います。
また、境内から京都市内が望め、京都タワーも小さく見えます。
ここにある要石で誓いを立てると願いが叶うと言われています。
現在はないですが、幕末は西堂隆盛と僧の月照が会談をした茶室「郭公亭」が鐘楼の上にあったそうです。
平安・鎌倉期には多くの堂宇が整備され、山伝いにつながっている清水寺と対峙したりしたそうです。
清水寺の更に奥に佇む山寺静かで趣が有る。
紅葉が美しい。
穴場中の穴場かも?今日は11月24日誰もいません。
紅葉は少し早かったかも?来週あたりかな?京都の町が一望できます。
山一つでこの静けさはいいかも。
おススメです。
清水寺の奥の院の南、泰産寺の東側から山間の道が清閑寺に続いている。
清閑寺は延暦二十一年天台宗寺院として創建。
応仁乱で荒廃し、真言宗の寺として再建。
幕末に西郷隆盛と清水寺の住職月照上人が勤王の密議を当寺の茶室で行われたとされる。
清閑寺を訪問するなら、清水寺の奥の院から歩いて行くのが良いと思います。
5~6分で着きます。
平清盛の娘を皇后とする高倉天皇が、小督局(こごうのつぼね)を好きになり、平清盛が怒って小督局を宮中から追い出しこの寺で出家させたと伝えられる寺。
幕末の勤皇僧である月照と薩摩藩士の西郷隆盛が幕府打倒の密議を交わした場所とされる。
清水寺や青龍殿からの眺望も良いですが静かな清閑寺からの京都市内の眺めもいいですよ!!!
国道から僅かしか離れていませんが平安時代に想いを馳せることのできる静かな場所です。
ここから見える京都の街並みは、時代を超えて見る人の心を打つような気がします。
清水さんと違い、静かで安らぐ空間です。
坂道なので自転車で行くには辛かったです。
そのせいか、人がいなかったので良かったです!
清水寺の裏寺にある閑静なお寺です。
拝観料100円。
名前 |
清閑寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-561-7292 |
住所 |
|
関連サイト |
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=7&tourism_id=386 |
評価 |
4.3 |
「平家物語」で知られている高倉天皇と小督局の悲恋のゆかりの寺院です。
平清盛が、自分の娘を差し置いて、高倉天皇が小督局を寵愛したのが気に食わず、小督を出家させてしまいました。
高倉天皇の死後、清閑寺の近くに葬って欲しいとの希望により、直ぐ横に高倉天皇陵があります。
清水寺の子安の塔から、山道を歩いて行くことができます。
拝観料、100円。
観光客の少ない穴場スポットです。