外から見学だけさせて貰いました。
東山を散歩して、初めて霊山観音へ足を運びました。
高さが24mもある観音像は圧巻です。
大戦の戦没者、犠牲者を追悼のため建立されました。
清水寺や八坂神社以外にもこんな観光メッカがありました。
京都東山にある霊山観音。
高さ24m、総重量500tという真っ白な大観音が迫力あるこちらは第二次世界大戦の戦没者と犠牲者を追悼するため、1955年に建立されたそうです。
巨大観音像の後ろ側には仏像内への入口もあり胎内巡りをする事ができます。
中は薄暗く落ち着いた雰囲気、十二支の守本尊が安置されているので自分の干支の本尊様へお祈りをして来ました。
胎内巡りの他に願いの叶う金の玉、なぜかふぐの慰霊碑なども。
色々見所も多いので東山に行った時にはまた立ち寄りたい場所です。
ねねの道からすぐ。
京都市東山区にある観音像で、第二次世界大戦の戦没者および戦争の犠牲者を追悼するため、1955年、帝産グループ創設者、石川博資によって建立された。
高さ24m、重さは約500t、鉄骨コンクリート造。
運営は宗教法人霊山観音教会が行っている。
観音像の下には内陣があり本尊の十一面観音が祀られている。
メモリアルホールには世界無名戦士の碑があり日に4回の法要が営まれている。
別院に東京別院徳持寺、赤坂別院がある。
デカっ!京都に大仏なんてあったっけ???坂道を登ってきて建物の陰から突如として姿を現すこの観音様を、無礼ながら大仏さんと間違いつつ驚きました。
外観から判断すると石像のようですが、いったいどこからこれほどの巨石を運んできたのでしょうかねぇ。
何だ!あの大きな観音様は?維新の坂を下る途中で気になる。
ならばと高台寺の駐車場の方へ再び上る…「もう閉館の時間ですが」大丈夫、5分で参拝するからと言うと、太い線香に火をつけてくれる。
急いで本堂の前に行き、手を合わす。
本尊の11面観音様は覗いても見えません。
後でパンフを見ると、殉国の英霊とあるから、戦争に出征して亡くなった人や大戦の犠牲者の冥福を祈るた為、そして、昭和43年、帝産の創始者や強い協力者による建立とありました。
帝産の創始者といい、相互タクシーの会長(9号線15mの釈迦如来像)といい、運送業は、何とスケールのでかい事をやるんだと感心です。
高さ24mの観音様に引かれて入った霊山観音、結局5分では、看板にある不思議な玉には出会うことも無し、それよりも、英霊が眠るならばもう少しゆっくり、そして丁寧に参拝すべきと反省した霊山観音でした🙇
観光客少なめです。
観音様の中入れます。
タイミングが良いと貸切になり、観音様の中は神秘的な空間です。
願いが叶う大きな珠がありました。
3回周ると願い事が!
境内に入ると目の前に東山をバックに巨大な観音座像が鎮座されています。
そのお姿は圧巻です。
体内巡りもできます。
自分の守り本尊にお参りしたり、境内の奥に安置されている愛染明王はご利益有りますよ🎵
慰霊のための建物です。
戦没者を弔う建物とのことでしたが世界全ての人を等しく弔う所だそうです。
世界が平和になるように戦没者の皆様に静かに祈りを捧げました。
ぜひ、弔いと願いを捧げて下さい。
(18/03/10)「妙智力」御朱印をいただきました。
第二次世界大戦の戦没者および戦争の犠牲者を追悼するため1955年に帝産グループ創設者石川博資によって建立されました。
拝観料300円。
2018/1/2拝受 全世界の戦没者を慰霊するために創設された単立系寺院。
大きな観音様は優しいお顔をしていて東山地区ではひと際目立っています。
観音様の下が本堂で、観音様の洞内に入ることも出来ます。
御朱印の墨字は妙智力。
観音経の一節でした。
東京にも分院があるそうだ。
行ってみよう。
御朱印を頂きました!
敵味方関係なく第二次世界大戦の戦没者を弔う施設はここのみかと思います。
拝観料が安いが為にその施設が朽ち果てていくのが哀しく思います。
ここを私財を使い建てられた方の思いをできることなら伝えてゆきたいものですが…どんな小さな命さえも大切にされる方々がおられます。
二度と戦争を起こさない為にも残していただきたく思います。
霊山観音さまは京都タワーなど市内遠くからでもお姿を見つけることが出来ます。
東山に鎮座されるお姿は近くに参りますとより一層大きく、人工的な風情ですが優しいお顔立ちは印象的です。
高台寺も近いし、龍馬ファンが霊山護国神社の帰りに来たり、外国人が来て写メパシャパシャ撮ってますが、一切何の歴史も言われもない新興宗教の施設となります。
さっさと行きましょう。
名前 |
霊山観音 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-561-2205 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
朝一に行くと誰も居ないので、ゆっくり見れます。
大人300円線香付1955年製、第二次世界大戦の追悼と世界平和のため作られました。
干支12支の像もあります。