レンガ造りの歴史を感じる建物です。
旧大阪砲兵工廠化学分析場 / / .
京橋を渡るとレンガ造りのこの立派な建物が現れます。
歴史的な建築物であるのに廃墟のようになっていたが、それはそれで味があった。
開発して観光名所にしたらいいのにと思う。
大阪城の北西側に明治初期に建てられた日本軍の兵器工場「大阪砲兵工廠」がありました。
その広さは40万坪にも及び、最盛期には6万人が働く「アジア最大の兵器工場」と言われましたが、第2次世界大戦の終戦前日、昭和20年(1945年)8月14日に「アメリカ陸軍航空隊(後のアメリカ空軍)」の「B-29」の猛爆撃によって徹底的に破壊されてしまいました。
そのうち、今も残っている貴重な建物が「旧大阪砲兵工廠化学分析場跡」で、大正8年(1919)に完成。
設計者は当時は陸軍の技師として第四師団や砲兵工廠関係施設の設計に、戦後は旧鳥取県立図書館や宮崎県庁舎、旧国立生糸検査所(現デザイン・クリエイティブセンター神戸KIITO新館)など多くの公共建築物にたずさわった事でも知られる建築家、置塩章(おしお あきら)です。
赤レンガを用いたネオ・ルネサンス風の2階建てで、ここで兵器の研究開発や化学実験が行われたとみられています。
第二次世界大戦での空襲による破壊をまぬがれ、戦後は国の庁舎、大阪大学工学部の校舎、1964年から1994年までの30年間は自衛隊大阪地方連絡部(現・地方協力本部)庁舎としても使われていましたが、今は廃墟になってしまい老朽化が進んでいます(管轄は近畿財務局ですが、耐震工事などが大阪市の財政難もあって難しく「具体的な活用方法は未定」との事)なお戦後、不発弾が多く危険だという理由で約20年近く、この一帯は更地のままとなっており。
鉄くずを回収し生計を立てる「アパッチ族」と呼ばれる人々が集まり、バラック集落を作るまでになっていました。
その当時の様子は開高健が1959年(昭和34年)に発表した小説「日本三文オペラ」などで今でも知ることができます。
3年前に訪れた時には、まだ原型みる事できたが今や、木が生茂り、雑草、ツタで覆われて見る影も無い…歴史的建造物がこの状態で良いのだろうか?
大阪城公園の北西に位置します。
旧陸軍の軍事工場で、当時はアジア最大の軍事工場で、主に火砲を製造していたそうです。
現在は、煉瓦造りの建物のみが残っていますが、中には入れません。
煉瓦造りの建物は当時の様子を想像させてくれるノスタルジックな趣きです。
良くタヌキが見られるスポットでもあります。
レンガ造りの歴史を感じる建物です。
しかしながら、周りにフェンスが張られており、近づくことが出来ません。
完全に放置されており、廃墟のようになってしまっています。
うまく再利用できないものでしょうか…?
1919年(大正8年)竣工の赤れんが作りの重厚な建物だ。
新兵器の開発や研究、化学試験などをしていたらしい。
戦後も大阪大学工学部→自衛隊が使用していた。
今は厳重に閉鎖され、道行く観光客もこの建物には興味なく、ただ過ぎ去っていくだけだ。
名前 |
旧大阪砲兵工廠化学分析場 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.osakacastlepark.jp/articles/detail.html?id=224&lang=ja |
評価 |
3.6 |
ちょっと朽ちた感じです。
整備してちゃんとすればいいのに。