もはや城の面影は全くありません。
毛人谷城は富田七郎の居城と伝えられるが、毛人谷城及び富田七郎は文献資料からは確認できず確証はない。
この富田氏については現若松町1丁目を富田七郎・八郎の誕生地として碑が建てられていた。
しかし湊川神社に祀られている楠木正成と湊川で討死した十六人の一人富田七郎正武、及び「楠寺」と称されている神戸市中央区楠町の「広厳寺」楠木一族霊碑にある富田七郎正武は、河内国丹比郡富田庄の人とあり、若松町1丁目誕生説とは矛盾があり、同一人物とするには史料不足である。
富田七郎の居城云々は別として、発掘調査からも毛人谷城の存在は明らかである。
名前 |
毛人谷城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
もはや城の面影は全くありません。