熊野三山への参詣道「紀伊路」に設けられた熊野九十九...
県道を歩いて、愛徳山王子の看板を見つけて、道なりに行きました。
少し 迷いました。
竹やぶの中を歩いて、間違えると、民家やだれかのお墓にたどり着きます。
行っ時間が6時過ぎと遅く、ライトひとつの真っ暗な場所。
無事にたどり着き、ありがとうございました。
案内看板に沿って進むと、民家の間を抜ける細い道を通りますが、季節によっては雑草が生茂り、歩きにくいです。
南側の舗装路から回り込んだ方がいいと思います。
竹林を抜けた先にある王子跡の場所は少し広くなっていて、神秘的でした。
愛徳山(あいとくざん)王子へは善童子王子から少し広い道に出て100m程南の四差路を左折、家の間の狭い道は100mほどで広い道に出ます。
300m程行くと右に花壇、三叉路の古道標識のあるところから家の間の幅50cm程の細い道を進みます。
そこから畑の中を10m程行き、右から左に狭い道を進み竹藪の中に入っていきます。
昼でも一人だと気味が悪いような薄暗い竹薮を150mほど行った右側奥に10m程の広場があります。
その広場の奥に愛徳山王子跡があるのです。
神名の愛徳は「アタギ」とも読み、地名の阿多木原からこの名になったと伝えられています。
名前 |
愛徳山王子 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0738-23-5525 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.gobo.wakayama.jp/kanko/bunkarekisi/bunka/ahibunka/shiseki/1382689930596.html |
評価 |
4.4 |
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愛徳山王子跡は、熊野三山への参詣道「紀伊路」に設けられた熊野九十九王子社の一つです。
御坊市藤田町吉田の八幡山の北麓に位置する。
建暦2年(1212)に後鳥羽院庁が紀伊国在庁官人等に宛てた『後鳥羽院庁下文』によると、紀伊国日高郡にある薗宝郷は、地主永命なる人物の寄進にもとづき熊野山新宮領と認定されています。
薗宝郷の北限境界が愛徳山王子が所在していた周辺と考えられます。
明治時代に八幡神社(御坊市湯川町吉田)に合祀されました。
『後鳥羽院熊野御幸記(明月記)』(建仁元年(1201)10月10日)において、連同持(善童子)王子の次に「・・次又愛徳山・・」とこの王子社の名が初めて記されており、鎌倉時代初期には所在していたことがわかる。
また、『明月記』(元久2年(1205)正月1日)に「・・盛範愛徳山王子修造功・・」と熊野別当家の一族盛範が愛徳山王子を修造した功によって賞せられた記事があり、仁和寺蔵の『熊野縁起』(嘉暦元年(1326))には、准五体王子に位置付けられるなど鎌倉時代を通してかなり重要な王子であったと記されています。
近世の記録を見ると、享保十年(1725)江川組社方書上帳に「愛徳山王子一社、是は往古より有来り候処及大破、慶安四年(1651)御尋被為遊其節境内三十間四方に被仰付、社鳥居御制札共御立被遊候其後御制札等朽損申候」とあり、さらに安永(1772~1780)ごろの吉田村書上にも同文で末段に「社鳥居大破におよび有之候」と附記しています。