佐土原駅からはタクシーで移動しました。
2020年8月にドライブ中、気になって立ち寄った場所。
当時はたしかコロナの関係で入れず、外観がきれいだったので遠目から写真だけ撮って帰りました。
またいつかリベンジできると良いなぁ。
続日本百名城の196番さどわらじょうと読む。
伊東四十八城の一つ。
江戸時代には佐土原藩の藩庁。
14世紀半ばごろに田島城として建てられたのが始まりで江戸時代には島津氏が治めている。
復元された二の丸御殿が見どころ。
山については20分も有れば天守跡にたどり着ける。
遺構として曲輪や本丸跡地があったのが分かる程度だが、赤色立体地図の看板が所々に立ててあり精力的な保護活動や観光案内の姿勢が感じ取れる。
名城スタンプは二の丸御殿(土日)かすぐそばの道の駅(営業時間であればいつでも)にて押せます!
江戸時代の御殿を復元した資料館が土日祝日のみ開館してます。
平日は資料館はおろか、駐車場のトイレも閉まってます(隣の城の駅は利用できます)。
御殿は立派ですが、庭園は遺構が無く、想定みたいです。
花しょうぶが見頃とのラジオ情報を聞いて見に行ったのですが植えられている場所の水周り管理が適切に感じませんでした。
溜まり水で浮遊物が多く花より目だっていました。
14世紀半ばごろに伊東氏の一族田島休助によって田島城が築城されたのがはじめとされます。
時は流れ伊東氏は島津氏敗れ、島津家久が4000石知行を持って佐土原城に据えられ日向国の差配を任されました。
家久の甥である島津以久が、日向国那珂郡・児湯郡内に3万石を与えられ、佐土原城を居館としました。
二代藩主:島津忠興によって城が増強されたともされますが、寛永2年(1625年)には山の上の建物を壊して、麓にある二の丸御殿に居館を移したそうです。
明治3年(1870年)に広瀬(現・宮崎市佐土原町広瀬)に藩庁が移転したため、建造物は全て破却された。
平成5年(1993年)、発掘調査の成果をもとに二の丸御殿の一部が復元された。
なお本邦最南端の天守があった城とかんがえられています。
天正年間(1573~92)に描かれたとされる「佐土原城絵図」には三重天守が描かれ、平成8年(1996)年の発掘調査で天守台跡と桃山様式の金箔瓦の破片が見つかりました。
本邦最南端といえた天守の存在が確認されました。
ただ出土瓦の年代も伊東氏、島津氏のいづれのものもあり、天守がいつ築いたのかなど詳細はまだ判っていません。
さらには三重ではなく二重だったとの指摘もあります。
寛永2年には、山城部分の建物を壊したとされますが、三代藩主:島津久雄まで天守など一部は残っていたのではとの指摘もあります。
201709 佐土原歴史資料館玄関近くの「中之道」は通行止。
鶴松館近くの「追手口」から登った。
入ってすぐの、深く切り立った堀切は雰囲気がある。
本丸あたりの虎口の雰囲気も好き。
途中「南の城」として曲輪がある。
本丸では、天守台(石垣)が拝める。
三層櫓の絵は残っている。
名前 |
佐土原城 二の丸跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0985-47-8012 |
住所 |
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営業時間 |
[火水木金] 9:00~16:30 [月土日] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
💮続日本100名城巡り 第45弾‼️ 本丸に残る天守台は、日本最南端のものだそうです❗山の中を歩き回り、いい運動になりました🙆