名前 |
厩(うまや)の坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
最大斜度11% 小樽港と石狩湾ビューポイント旧地名に由来。
馬が貨車を支線がたくさんあり、その厩があったことにちなむ📖厩専用線かつて、手宮駅周辺には船への積み込み前や、降ろしてから、一時的に荷物を保管するための倉庫が多数存在しており、これらへ荷物を輸送するための専用の線路が網の目のように張り巡らされていた。
そのような貨物専用線の中の一つに厩専用線が存在した。
この専用線は手宮駅の北側、高島方面および東の海側に延びており、日通や日粉などの倉庫へ貨物を輸送する役割を担っていた。
この厩専用線には一風変わった特徴がある。
それは路線の名前にもなっているように、ここでは貨車を機関車ではなく馬が引くことだ。
ここで、馬が貨車を曳くようになったのは、まず倉庫などが密集する地区に敷かれた線路の建築限界があげられる。
線路のすぐそばに倉庫や建物が立ち並んでいるため、機関車を通すことができるだけの空間を確保できない。
そして次に、人が曳くには貨車は重すぎるということである。
空積みの貨車ならば数人で押すこともできたようだが、荷物を積んだ貨車を動かすには相当な人手がいる。
そこで、牽引力があり小回りのきく馬が使われるようになった。
そして、厩専用線では馬を使った貨車の牽引が円滑に進められるように様々な工夫がなされていた。
その一つに転車台の存在がある。
これはターンテーブルとも呼ばれ、台座が回ることでその場で車両の進行方向が変えられるものである。
ここではスペースが限られていたため、転車台に載せることができる貨車は1台である。
転車台の設備は専用線に3台存在した。
このような独特の設備を活用して馬による貨車の牽引が行われていた。
ただ、この馬によるユニークな貨物輸送もモータリゼーションの波にのまれることとなり、1973(昭和48)年姿を消した。
馬を使わなくなった当初は、線路が敷かれていた場所を道にしたうえで、オート三輪による輸送に振り替えられた。
その時に転車台などの設備もすべて撤去されてしまった。
そして、今では馬が貨車を牽引していた頃の面影は全く残っていない。
1973(昭和48)年まで使っていた馬の名前は1954(昭和29)年から一貫して春風号と呼んでいた。