広くて南面が大きく展望が開けている。
旧村社。
創建:応仁年間(1468-69)。
こちらの飯玉神社は領主の那波氏が現伊勢崎市堀口の飯玉神社(那波総社)から分霊を勧請して創建されたものだそうです。
更に、社殿に掲げられている古老の伝承によると、正親町天皇の御代の天正十八年(1590)に那波氏が滅んだために、郷民相談の上で、郷土鎮護の鎮守神として祭儀を継続して行い、御神徳に報いたという。
また、当地の地名は、古人が御祭神の御神徳を慕って飯倉邑と名付けたと伝えられている。
明治六年には村社に列せられ、今日に至っている。
とあります。
社殿に向かって左手前と右手奥に塚が築かれていて、郷民の神社としてよろずの神様が祀られていました(飯玉神社 境内神社一覧が社殿に掲載あり)。
尚、飯玉神社は、上野国那波郡及びその周辺にのみ祀られていて、飯玉、飯福神社九十九社の創建には、その地域の領主であった那波氏(平安末期に始まり安土桃山時代末期には断絶している)が関わっていますが、ここにある古老の伝承にありますように、那波氏滅亡後、江戸時代から現在まで、それぞの地域の人々、氏子中の信仰と支えがあって、それぞれの飯玉神社の現在がある事に思いを馳せることが出来ます。
佐波郡玉村町飯倉甲三四二番地 飯玉神社祭神 保食命由緒当社の創建は定かではないが、古老の伝えるところによると、後土御門天皇の御代の応仁年間(1468-69)に、当郡の領主那波氏が那波郡堀口村(現在の伊勢崎市堀口町)に鎮座する飯玉神社の御分霊を奉祀したのに始まり、以来累世那波氏の崇敬を受けて来たが、正親町天皇の御代の天正十八年(1590)に那波氏が滅んだために、郷民相談の上で、郷土鎮護の鎮守神として祭儀を継続して行い、御神徳に報いたという。
また、当地の地名は、古人が御祭神の御神徳を慕って飯倉邑と名付けたと伝えられている。
明治六年には村社に列せられ、今日に至っている。
境内神社八坂神社 建速須佐之男命諏訪神社 建御名方命稲荷神社 倉稲魂命。
名前 |
飯玉神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ

広くて南面が大きく展望が開けている。
色んな神様がいる。