江ノ電を跨ぐ赤い欄干の橋が左に見える。
1267年、極楽寺の僧、忍性が運慶作の地蔵を安置したのが始まりといわれています。
兵火によって当初の地蔵は焼失したといいますが、1333年に起こった新田義貞の鎌倉攻めのことでしょうか、定かではありません。
現在の地蔵像は室町時代につくられたものだといわれています。
子育てに霊験あらたかだとされたことから「導地蔵」と呼ばれるようになりました。
この寺御地蔵様の視界では子供たちに禍がおきないと伝わります。
89.導地蔵アクセス江ノ電「極楽寺駅」下車、徒歩1分道行く人々が縁側に座っているほのぼのとした御堂の中には、子育てに霊験あらたかな立派な御地蔵様かおられ、鎌倉二十四地蔵の一つです。
1267年(文永4年)、極楽寺の僧、忍性が運慶作の地蔵を安置したのが始まりといわれています。
兵火によって当初の地蔵は焼失したようです。
現在の地蔵像は室町時代につくられたものだといわれています。
子育てに霊験あらたかだとされたことから「導地蔵」と呼ばれ、この御地蔵様の視界では子供たちに禍がおきないと伝わり、生まれてまもない子の宮参りの帰りに、この地蔵に赤飯を供えて子の安全・成長を祈る風習になっているそうです。
このあたり一帯は、鎌倉幕府と固く結びついて多いに興隆した極楽寺の境内だったといわれており、導地蔵もまた極楽寺の境内の中ありました。
ご朱印所:極楽寺に入り、ご本堂に向かって左側にご朱印所がありますので、「鎌倉二十四地蔵尊のご朱印を頂きたい」とはっきりと伝えて拝領してください。
江ノ電の極楽寺駅を降りて駅前の道路を左に江ノ電(鎌倉方面)に沿って歩くと、江ノ電を跨ぐ赤い欄干の橋が左に見える。
この橋を渡って直ぐ右側に赤いトタン屋根のお堂がある。
これが鎌倉二十四地蔵霊場第20番の「導地蔵尊」である。
お堂の管理は、近くの真言律宗の名刹極楽寺である。
また、この付近の極楽寺切通し一帯は西方寺址といわれており、橋の向かいにある、お店「ドールアンリミテッド」とアパート間の石階段を中に入っていくと、主君足利氏満の下で関東管領を務めた、上杉憲方夫婦の墓と伝わる七層塔・五層塔があります。
名前 |
導地蔵尊 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.8 |
極楽寺駅前最寄り「地蔵堂」。
石ではない地蔵尊が鎮座しています。
近くに寄ったら、手を合わせましょう。
近くにもう一つ、地蔵堂が有ります。
場所は江ノ電「極楽寺駅」近く。