実物大の船でとても分かりやすかったです!
昔の方は凄いです。
先人がこの船で苦労して彼の国に行って頂いたお陰で今の日本が有るという事を忘れてはいけないですね。
平城宮跡を見学した帰りに寄りました。
大昔の航海の苦労を想像して、人の探究心の強さに感じ入りました。
●実際の船のレプリカ風●説明文がありわかり易い●ミニクイズもあり、楽しい●昔の人の大変さも伝わる。
天平うまし館前には、復原遣唐使船があり、無料で乗ることができます。
乗船時間は9時半~18時までで、遣唐使船は動きませんが、遣唐使の部屋があったり見てまわれます。
時間により音楽とミストのアトラクションがありました!12時。
平城宮跡、悠久の時を感じさせてくれる素晴らしい場所です。
2021 10朱雀門訪問で寄ってみました。
外観の作りは凄いのに内部も再現されてたら もっと素敵だろうな。
水面に映る遣唐使船。
とても綺麗です。
すぐそばにお洒落なレストランや、広場もあり、ゆっくりできます。
天気の良い日に訪れると素晴らしい場所です😊駐車場はすぐいっぱいになります。
大きな駐車場を今、建設中。
2021.9月。
広いのでゆっくり出来ます。
駐車場は有料ですが、飲食かお土産を買うと1時間?サービスがあるようです。
かなりリアルに再現されていて、航海の大変さが伝わって来ます。
とても小さく頼りない船です。
当時の技術では、日本海を渡ることが「命懸け」だったことが分かります。
「百聞は一見に如かず」です。
日本から唐の国までの架け橋となった船。よく再建したと思います。大変、素晴らしいです🚢⚓
平城宮跡歴史公園「朱雀門ひろば」の一角に復原遣唐使船があります。
昔、遣唐使を中国に派遣する際に使われた遣唐使船を復原したものとなっています。
遣唐使とは、奈良時代がはじまる前(飛鳥時代)から平安時代初頭にかけて当時の中国(唐が支配)に、日本から貴族や僧侶らを使節として派遣し、中国の高度な文化・技術、また仏教の経典などを持ち帰ることを目的として行われていたものです。
訪:2020/06/25
遣唐使船。
この大きさでよく唐まで行けたもんですねぇ~⚓
実物大の船でとても分かりやすかったです!勉強になりました❗せんとくんとのツーショット⤴️いいでしょ‼️
奈良公園の少し西側、平城宮跡朱雀門横です。
幹線道路沿いにあります。
奈良訪問の最初若しくは帰りがけに寄りやすいのではないでしょうか。
遣唐使船に加えて、土産物屋の建物内で歴史についてのアニメ動画や年表なども用意されているので、折角であれば、そちらと併せて少しでも歴史内容を記憶に残せば有意義だと思う。
駐車場は有料だが、土産物屋の利用でサービスあり。
奈良公園、奈良町周辺の観光後にバスで行ってみました。
朱雀門と一緒に無料で見学できます。
奈良公園からは少し遠いですが、バス料金100円で行けるので一見の価値ありだと思います。
実際の船がこのような形状だったのかは分かりませんが、遣唐使のロマンと風情を感じさせます。
こちらの公園は広範囲に歴史的な建物等を再現しており、全ての施設を訪れるならまる一日必要になると思います。
各所で実際に土を掘り返して遺跡の発掘作業をされています。
たぶん今のペースだと、こちらの公園の敷地調査で数十年以上必要になるそうです。
各所にボランティアの案内人がいらっしゃるので親切に説明をしていただけます。
遣唐使はこのちっちゃな船で渡ったんですね。
無料で見られます。
午後はミストが出ています。
遣唐使とは、舒明天皇(じょめいてんのう)2年(630)から寛平6年(894)の間に、日本から唐に派遣された公式の使節のことです。
およそ20回任命されましたが、そのうち、実際に渡唐したのは16回でした(『国史大辞典』による)。
彼ら使節団を運んだ遣唐使船の大きさですが、全長は30m、幅7~8m、帆柱2本で平底箱型。
鉄釘はほとんど用いず、平板をつぎあわせて造ってあります。
そのため波切りが悪く、不安定で、強風や波浪に弱いという欠点がありました。
また、航期や航路をあやまることが多く、遭難する船が少なくなかったのです。
遣唐使船には、大使・副使とその随員以外にも、通訳・医師・留学生・学問僧たち、船を操る船長や漕ぎ手たちと、1隻に120人ほど乗っていました。
はじめのころは、1隻か2隻の帆船で渡海しましたが、8世紀にはいると4隻となり、多い時は一行全員で500~600人にもなりました。
唐への航路は、はじめ朝鮮半島沿いに渡海し、山東半島に上陸して唐の都・長安に向かう北路をとりましたが、朝鮮半島にあった新羅との関係が悪化した8世紀以後は東シナ海を横断して、揚子江の河口付近に上陸し、長安に向かう南路をとるようになりました。
遣唐使船は無風や逆風の際は帆をおろし、櫓を用いたので多数の漕ぎ手を乗せており、また漂着した場所での安全を守るため、同じく多数の射手を乗せていました。
こうした多くの危険があるにもかかわらず、派遣される人物には、貴族の子弟のすぐれた人物が選ばれ、留学生や学問僧も、傑出した人材が選ばれました。
そのため入唐経験者のなかには、帰国後にわが国の政治や文化に、かけがえのない役割をはたした山上憶良(やまのうえ の おくら)・吉備真備(きび の まきび)・最澄(さいちょう)・空海(くうかい)といった人物が多くみられます。
遣唐使が帰国の際に伴ってきた鑑真(がんじん)をはじめとする多くのすぐれた渡来人や文物は、わが国の政治や文化の発達に大きく貢献しました。
現在まで伝えられている日本文化の基底は、この遣唐使船に乗っていった人々や、その人々がもたらした文物によって築かれたといっても、言いすぎではありません。
ぶっこぬきスピリッツ当時の国家予算の3分の1を要し国内にインフレを引き起こしたと言われる遣唐使。
現在の国家予算に換算すれば約30兆円、軌道エレベータの建造が10兆円程度なので月にも火星にも余裕で行けちゃうのです。
そこまでして得るものが当時の唐にはあったのでしょうが、この辺は予算の巨額不正流用で戦艦三笠を建造した明治時代にも通ずる所がありますね。
こういった大ぶっこぬき時代がちょいちょい在るのが日本史の面白いところです。
と、まぁ天平人や明治人の足の小指の爪の先ほどの気概も無い現代人には到底無理な話は置いておいて…かつてボストン美術館展で見た、鎌倉時代に描かれたとされる『吉備大臣入唐絵巻』の遣唐使船がベースになっているそうなので、外観の再現性自体にはちょっとファンタジーが入ってるかもしれません。
2018.5.1平城京…跡の入口に遣唐使船が有ります…2018.3月に復原お披露目なので綺麗でした。
平城京跡はかなり広いので炎天下での歩きを想定した準備が必要ですよ…。
「四艘の船は、いずれも長さ十五丈、幅一丈余の大船で、百三、四十人の乗員ならそう窮屈ではなく収容できる大きさだったが......」「夕方、四艘の大船は潮の満ちて来るのを待って難波津の波止場を離れた。
」この描写は井上靖の名作「天平の甍」の一節だ。
資料をもとに外観は復元されたが、惜しむらく各室には入室不可だ。
一番興味があった肝心の船倉も多分復元されていないのだろう。
外観のみの復元だが、それでも見る角度により、当時の遣唐使船の面影が残る。
鑑真も、この帰還する遣唐使船に乗って訪日を果たした。
暫し奈良時代に戻り、遣唐使船の歴史を思い浮かべ、当時の日本にタイムスリップするのも面白いと思う。
名前 |
復原遣唐使船 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0742-35-8201 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:30~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
おそらく、こんな感じ、で再現された遣唐使船とのことイメージ的にはそうそうこんな感じ、ではあります船内の中に入ったりはできませんが雰囲気を味わえます。