これといったものが…人が少ないのでのんびりはできて...
2019/1/20祇園城は鎌倉時代初期に絶大な勢力を誇った小山氏の居城だが、現在も主郭から連格式に北に向かって曲輪がはっきりと確認でき、土塁はかなり低くなっているが堀切はなかなか素晴らしい。
特に北の方の曲輪周辺の堀は素晴らしい。
またこの場所は家康の上杉攻めの一場面である小山評定がこのあたりで行われたことにもなっており、歴史上きわめて重要なところである。
そんなことを考えながら散歩するだけでも楽しい。
出掛けたついでに小山駅で降りて、小山城を見に行きました。
あまり口コミの最新情報をチェックしなかったら、なんと!城跡の半分が閉鎖中…。
愕然としましたww綺麗な公園になる為に6月上旬まで整備中との事…半分は見られたのですが本丸には行けず。
まぁ、日帰りで来れる距離なのでまた来ます。
公園内は犬の散歩などもできます。
子どもたちの遊具もあるので、遊び場として最適だと思います。
しかしところどころ土部分があったり、柵はあるものの簡易的なものなので下手をしたら落下する危険もはらんでいます。
あと坂道は多少あります。
トイレや駐車場もありますね。
下野国守護 小山氏のメインの居城である祇園城こと小山城です。
こちらのお城は戦国時代より少し前の室町時代後期から下野国守護である小山氏がこの一帯を支配するのに要になったお城です。
小山市の勢力はそれなりに大きく、北条氏に滅ぼされるまで、このお城で支配権を築きました。
こちらのお城ですが、現在は小山市が地元に対しくつろげる場所として公園として整備されています。
特に最近は日本の四季に合わせて、様々なお花や植物が楽しめるように公園全体の整備をしています。
そのため、南側にあるお城の一部地域に関しては2023年8月現在工事中ですので、立ち入ることができません。
こちらの城跡ですが、縄張り自体昔のまま残っており、あまり商業化されていません。
つまり、お堀や城の縄張りなどが昔のまま楽しめるといった感じになります。
公園の裏手、思川のほとりも非常に広々としていて、自然と良い景色が同時に楽しめます。
家族連れでくつろぐための公園としても良いですし、歴史に思いを馳せるために訪れてもよし、非常に楽しめる公園の一つです。
別名、小山城。
思川の東岸断崖上にあり、土塁、空堀に囲まれた東西約790m、南北約1336mの広大な城郭。
城の東北部の祇園郭に祇園社が勧請され祇園城と称された。
南北朝末の小山義政の乱のとき、鷲城の支城、義政滅亡後、結城氏より泰朝を迎えて小山氏の本城とした。
(以上、栃木県の中世城館跡抜粋)城域北東側に北久保跡の駐車場がありそこから本祇園曲輪、塚田曲輪、中曲輪、上段曲輪までいけますが南側の本丸、二の丸は公園再整備事業入れません。
あとは市役所付近の小山御殿、小山評定跡など見学されるといいのではと思います。
整備中で誰もいませんが、静かでのんびり散歩できました。
無料駐車場の桜が満開で一番よかったです。
別名小山城。
現在整備中ですがどのようになるやら。
出来る事ならばほとんどの木を切ってお城現役当時の状況にして頂きたいものです。
週末になると人出が増えるだろうと思います。
この日はあまり人が見られませんでした。
城山公園としての認識はありましたが、祇園城という名で知られていたということは知りませんでした。
最近あちこち工事をしたり樹木を伐採したりしているとは思っていましたが、少しの間に大きく様変わりをしていました。
土地の高さが際だち、大行寺方面の眺めが大変よくなりました。
小山市の川沿いの離れにある城址跡になります。
伝承によれば藤原秀郷の創建であるとされ、小山氏から北条氏、徳川家家臣本多正純と所有者を変えながらも愛されてきた城であるそうです。
公園内には当時の土塁が残るほか、お城というだけあって小高い丘になっているので見晴らしが良いです。
大通り沿いの場所しか見れていないのですが、思いの外広い敷地なので後で本格的に回ってみたいです。
小山城は鎌倉期に思川の河岸段丘を利用して築いた城で、当初は鷲城の支城でしたが、南北朝期に本拠としたようです。
小山氏は南北朝や戦国期に血みどろの戦いを繰り広げたが、18代小山秀綱の時に小田原北条氏に降伏し、小田原の役で改易となりました。
江戸期は本多正純が入ったが、1619年(元和五年)に宇都宮へ転封となって廃城となっています。
家康の合図征伐の際、家康と豊臣系大名が評議し上方に上って西軍と戦う事を決した小山評定の舞台と伝わるが、小山評定は江戸期に創り出された架空の話のようです。
自分が訪れた時は、斜面の法面保護工事のため主郭は立ち入り禁止でしたが、紅葉を楽しみながら曲輪跡や空堀を散策できました。
駐車場は小山市役所の駐車場(無料)を利用出来ます。
祇園城は思川に臨む台地上に築かれ思川を外堀とした要害堅固な城です。
三つの郭が連なる、連郭式城郭で深い空堀や、土塁が残り現在は、城山公園になっています。
1148年、平安末期に▶️藤原秀郷を祖とする小山政光(小山氏祖)が築城したのがはじまりで小山氏二代・朝政は源頼朝の挙兵に加わり鎌倉幕府創業の功臣となります。
…後、1333年七代・定朝八代・秀朝は北条政権打倒の合戦に加わり討死。
九代・朝氏十代・氏政は足利尊氏に従い活躍。
十一代・義政は城内にまつられている祇園神社から名をとり城の名を【祇園城】としました…。
義政は、宇都宮氏との領地争いに干渉する足利氏満に反旗を翻して三度にわたる降状と、挙兵を繰り返し自刃。
小山隆政の子も、鎌倉の海にしずめられ💧小山氏の正統は途絶えます……後、1400年足利氏満は、名族小山氏断絶を惜しんで同族の、結城基光・次男★泰朝に小山氏名跡を継がせ以後室町時代~戦国時代にかけて古河公方→後、小田原北条氏の支配下に入り城の堀や土塁を堅固にするなど戦国時代に適応する城郭にしました…1590年豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏が滅びると二十一代・小山政種も城を追われ平安末期~続いた小山氏の歴史に幕が閉じ祇園城も廃城となります…。
…徳川家康の天下となった1680年家康側近の本多正純が城主となり正純が宇都宮に転封になると再び廃城となりました。
徳川家康が関ケ原合戦前夜に石田三成に隙をみせておきその間に福島正則や、豊臣恩顧の大名を味方につけて関ケ原へと軍を引き返した【小山評定】の場所は祇園城から近い小山市役所の地と伝わるそうです。
敷地内に、小山評定の石碑があります。
頼朝に従った小山政光の次男【宗政】は下野国芳賀郡長沼(真岡市)に領地を得て、長沼氏の祖になり…宗政の兄【朝政】は結城郡に住んで、結城氏の祖になり…朝光五男【朝良】は下総国長沼(成田市長沼)に住み下総長沼氏の祖になり…小山氏家相政光の弟【行義】は下河辺氏の祖となり源頼政の郎党に。
下河辺氏は八条院領・下河辺荘を管理していました。
→行義の子【行平】は古河城を築城しています★
小山駅からほど近く、城址公園になっています。
深い空堀にめちゃ感動♪このあたりでは南の鷲城と双璧の素晴らしい中世城郭です(^o^)
室町時代の有力大名。
関東八屋形に数えられる小山氏の居城。
戦国時代には後北条氏の北関東攻略拠点となり、小田原征伐の後には家康の側近である本多正純が城主となるが、宇都宮城へ移封され廃城となる。
城跡は公園となっているが、空堀が良く残っている。
下毛野の名族藤原秀郷の後裔小山氏の城跡として国指定史跡になっています。
遺構は公園としてよく残っています。
駐車場もあります。
ちょっと分かりずらいですかな?小山氏は文献も豊富なので国指定は有利ですね。
三日前に、この場所を訪れたんですがね。
駐車場の場所が、奥の方にあるので深夜に訪れようと言う人は、近くの家やアパートの人の迷惑になると思います。
小山駅側に、駐車場を作れば防犯上良いと思いますね。
個人の見解ですがね。
公園になっていて、堀切に赤い鉄筋の橋がかかっていてきれいでした。
静かで林の影は涼しく、広場に東屋があります。
公園の方にある遊具は年季入ってます。
ポケモンGOをやっているらしき人がいました。
駐車場は北側にあります。
住宅地の奥にあるので分かりづらいので注意です。
跡地らしいのですが、これといったものが…人が少ないのでのんびりはできていいかも!かわいい野良猫?ちゃんに遭遇出来ました♪
国の史跡ですが、詳しい説明板は見つけられませんでした。
幾つかの曲輪と堀切・虎口跡があります。
本丸跡には慰霊碑、忠魂碑(乃木希典書)、明治三十七八年戦役記念碑(陸軍少将梅澤道治書、城山公園碑があります。
中曲輪跡には虎口跡、馬出跡、土塁跡、大公孫樹があります。
その他、塚田曲輪、本祇園曲輪跡、上段曲輪跡があります。
堀切は本丸中曲輪間、本祇園曲輪中曲輪間にあります。
自然の地形を活かした古城なので、地形に興味が有れば発見が多いです。
その半面、もともと人工の城郭ではないから、歴史好きには物足りないようです。
あまり、お城の跡の感じは感じられなかったです。
が…広く気持ちがよく、清掃も行き届いていたので、★は4で。
遊具もあり、子供を連れていって、ボール遊びしても安全に遊ばせられる様で良い公園だと思います。
屋根がある、ベンチやトイレもあります。
奥地まで入っていくと、樹液が出ている木があり、カブトムシや色々な虫が集まっていて驚きました。
(注)採る目的で行って無いので、もちろん持ち帰っていません。
(苦笑))樹液の木の周りには蜂など危ない虫もいると思うので、ご注意を!!
史跡指定されている城跡。
大規模な堀跡や土塁などの遺構が明瞭に残っている。
戦国時代の厳しさを感じさせてくれます。
桜が見どころの公園です。
癒されました。
祇園城と呼ばれている。
奥の方に大きな駐車場🅿があります、小さな遊園地、トイレ🚻等があります。
又川沿いの風景はとても素敵な場所です。
城ができた理由が解る気がしていた多くの空堀、橋、土塁が見られます。
川の流も素敵に思えます。
現在の小山市役も城🏯跡の一部だそうだ、昔のこととだぶらせて考えてみたら楽しみです。
城感は皆無なただの公園。
桜の時期は混雑。
でもそれほど見事な桜って程でもない。
小山の憩いの場。
広い芝生と遊具もあり。
トイレあり。
東屋もあります。
北側の駐車場(無料)から橋を渡り、城の壁?(ラピュタの壁みたい)の間を抜けると小山城跡。
でも、城の面影は無い。
城跡公園です。
名前は祇園城の方が風情がありそうですが、お花見の時期でない時は、本当に何もないです。
城跡というよりも公園として整備されているようです堀跡があり、昔の城跡の面影を残してはいるようです玄人向きの城跡かもしれませんね。
新緑が美しい。
お散歩に気持ち良い‼️
お城がないので気持ちのいいお散歩コースのようです。
サクラ祭がローカルですが屋台も出てて昭和ぽくて好きです。
名前 |
祇園城址 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
0285-22-9669 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.oyama.tochigi.jp/soshiki/5/1594.html#sp_headline_5 |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ

史跡として整備されているというよりは公園として活用されている感じです。
北側は堀切や土塁がしっかり残されているように見受けられました。
どこの部分が史跡でどこが整備された部分なのかなど分かるようになればいいなと。
縄張り図もあるにはありますがもう少しわかりやすく説明板など整備されると史跡として認知されるような気がして、なんだかもったいないなぁという印象を受けました。