大仏殿を再興された公慶上人をお祀りするお堂です。
東大寺勧進所(かんじんしょ)。
東大寺は二度もの兵火に見舞われています。
一度目は平重衡、二度目は松永弾正久秀と三好三人衆・筒井順慶によるものです。
寺の建立の為に寄付を募ることを勧進と言いますが、二度目の兵火に対する勧進に奔走されたのが公慶(こうけい)上人です。
公慶上人は徳川綱吉公とその母の桂昌院(けいしょういん)に勧進の依頼をする為に、江戸まで足を運ばれています。
そのおかげで大仏殿落慶は1709年3月21日します。
ところが、桂昌院と公慶上人は1705年8月に相次いで、綱吉公は1709年2月に、何れも落成供養の前に亡くなりました。
名前 |
東大寺勧進所公慶堂 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
5.0 |
大仏殿を再興された公慶上人をお祀りするお堂です。
苦心の末に大仏殿落慶前に遷化された上人を偲び、大仏殿の方角に向けて建てられているとの事です。