名前 |
福地神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
創祀不詳なれども、本社記録は貞享四年夏洪水の為流失し、僅かに残存せるものありしが、又天明二年十月及び文化八年三月再度の火災に烏有に帰し、縁由不詳。
当社は元現地より五大町南地北村と云ふ地に鎮座せしも、天明四年此処に遷座せしと伝ふ。
今も旧社地神田等北村に存せり。
此北村といふ地は古来民家多き地なりしが、漸々湊の方へ移転して、終に田野となれり。
御神実は昔は阿弥陀如来の木像なりしが、明治維新の際神仏混淆の畏れあるを以て之を取り除きしか。
同十一年十月三十日直径三寸の円鏡を御神体として奉安せり。
境内六百三十七坪、境内神社六社あり。
隼人神社(不詳或いは「うず」或いは火闌降命)福地神社。
遷座以前より鎮座し、当地の神なり。
白山神社(白山比□羊神)勧請不詳。
金刀比羅神社(大已貴神、崇徳天皇)天保十二年十月十五日讃岐國金刀比羅神社の神符を受け、これを創建す。
御鍬神社(豊受姫)由縁不詳。
秋葉神社(火之迦具神)文久二年三月十七日遠江國秋葉神社の神符を請ひ之を奉安す。
馬神神社縁故不詳。
奉再興 福地大明神社頭一宇、濃州多藝郡東笠村寛文六年五月十五日。
右棟札は天明五年八月迄所在不明なりしが、之を見出したるに、裏書き氏名中改册訂正する所あり。
一村大いに紛議を醸したることありき元禄八年記録(同地高橋弥四郎氏所蔵)に福地大明神一社柿葺四尺二寸に酉積境内東西十三間五尺一寸南北三十三間一反五畝七歩村除地。
氏神早戸大明神一社柿葺四尺一寸四面拝殿長三間横二間。
鳥居幅高二間境内東西十八間南北村除地云々と記せり。