円覚寺の門も山門ではなく三門となります。
煩悩が少しはとれたかなぁ💦清らかな気持ちで観ると、より美しさも増します😅
総門を通り抜けると、山門にいつも圧倒されます。
いつきても堂々とした門で気持ちが良いです。
立派な三門です。
江戸時代に再建されたそうです。
このように 生まれてきてこのように 生かされていま 生きているこれこそ 仏心如来 無量のいのちありがたく 手を合わす。
安らぎある、お寺ですね😊
江戸時代の再建で額字は伏見上皇の勅筆と伝わる。
格式ある寺に相応しい立派な山門である。
楼上には十一面観音、十六羅漢像が安置されているそうだ(非公開)。
風格がある。
三門は三解脱 (空 ・無相 ・無願 )を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされています。
現在の三門は1785年、開山・無学祖元禅師の五百年遠諱の年に大用国師によって再建され、現在は神奈川県指定重要文化財となっています。
「円覚興聖禅寺」の扁額は、北条貞時の時代に伏見上皇より賜ったものです。
楼上には通常非公開である十一面観音、十二神将、十六羅漢が祀られています。
1785年(天明5年)の再建。
三門は三解脱の空、無相、無願の象徴で煩悩を取り払い仏殿に至る門とのことです。
円覚寺山門前。
隣の建長寺と並んで臨済宗のお寺。
観光客は入れないが、今なお、舎利殿のエリアでは若いお坊さん達が共同で寝泊りし超厳しい修行をしている。
禅の思想家の鈴木大拙は此処円覚寺の出で半世紀以上前に西洋世界に禅を普及させた。
観光とは裏腹に厳しい修行の側面を持つお寺さん。
鎌倉は京都、日光に比べ東京に近く地味では有るが、外人さん達の観光には見る所が多く是非おすすめの観光地ですよ。
67.円覚寺寺院(臨済宗円覚寺派)1282年(弘安5年)、元寇の死者を弔うために時の執権北条時宗(鎌倉幕府第8代執権)が中国(宋)から招いた僧・無学祖元を開山として創建した古刹で、現在は臨済宗円覚寺派の総本山となっており、国宝に指定されている舎利殿や洪鐘(おおがね)をはじめとして貴重な建物や文化財が数多く伝えられている。
1・鎌倉・円覚寺の御朱印①「宝冠釈迦如来」の御朱印・・受付横の御朱印所で貰うことができます。
②鎌倉地蔵尊霊場第十四番「南無延命地蔵」の御朱印・・佛日庵で貰います。
③鎌倉三十三観音霊場第三十三番「南無十一面観世音」の御朱印・・佛日庵で貰います。
④「北条時宗廟」の御朱印・・佛日庵で貰います。
⑤「功徳林」の御朱印・・期間限定の御朱印で、宝物風入れ(11月3日前後)の期間中のみ大方丈前に開設される朱印所で頂くことができます。
⑥「舎利膽禮」の御朱印・・期間限定であり、舎利殿の特別公開期間中(5月GW、11月3日前後)のみ、舎利殿入り口の万年門前の特設テントで貰うことができます。
2・鎌倉・円覚寺へのアクセス(行き方)JR横須賀線北鎌倉駅下車すぐ。
3・鎌倉・円覚寺の境内と見どころ・山門現存する巨大な重層門は、1785年(天明五年)に円覚寺前堂首座の誠拙周樗(大用国師)によって再建されたもので、掲げられている「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇より賜ったものとされる。
楼上には十一面観音坐像や十六羅漢像、十二神将像などが安置されているが、普段はみることができない。
名門として名高く、夏目漱石の「門」や川端康成の「千羽鶴」にも登場する。
・仏殿(大光明宝殿)堂内には円覚寺の本尊の宝冠釈迦如来像を安置する。
1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊しが、1964年(昭和三十九年)に現存の建物が1573年(元亀四年)の仏殿指図に基づいて建立された。
天井に描かれた巨大な白龍画は前田青邨監修のもと守屋多々志によって1960年(昭和三十五年)に描かれたもの。
掲げられている額は、後光厳上皇(1338-1374)より賜ったものとされる。
・選仏場1699年(元禄十二年)に伊勢長島藩第松平忠充建の寄進によって座禅道場として建てられたもので、堂内に南北朝時代の薬師如来立像や観音菩薩坐像が安置されている。
・洪鐘(おおがね)吊るされている鐘は、九代執権北条貞時が蒙古襲来で混乱した国家の安泰を願って寄進したもので、刻銘には「皇帝万歳 重臣千秋 雨調雨順 国泰民安」とあり、高さは259.5cmで関東では最大の大きさを誇る。
国宝に指定されている。
・弁天堂鐘楼のすぐ隣にある建物で、弁財天を祀る。
洪鐘の鋳造は難航したが、江ノ島の弁財天に祈願したところお告げがあり、それに従い白鷺池の底から出た金銅を使うと見事鋳造に成功したことからここに祀られるようになったと伝えられている。
・居士林東京の牛込に建っていた柳生流の剣道場を移築した建物です。
毎週土曜日には、ここで「土曜座禅会」(参加料無料、予約不要)が開かれています。
・方丈本来は住職の居住する建物とされていますが、約100体の観音像が並んでいるので、観音詣での御利益があるといわれています。
・妙香池円覚寺の創建当初から存在している池です。
国指定の名勝として有名な池でもあり、向こう岸の岩は虎の頭のように見えることから「虎頭岩(ことうがん)」と呼ばれています。
・佛日庵円覚寺の建立を指揮した鎌倉幕府八代執権北条時宗の廟所があり、堂内には北条時宗像、九代執権北条貞時像、十四代執権北条高時像などが安置されている。
・舎利殿塔頭の正続院の敷地内に位置する建物で、鎌倉で唯一の国宝建築物。
舎利殿とは釈迦の遺骨を納めた建物のことで、堂内には鎌倉幕府の三代将軍源実朝が南宋の能仁寺から請来した佛牙舎利(釈迦の歯)が納めら得ている。
当初の建物は1285年(弘安八年)頃の建立とされるが、1536年(永続六年)の火事で焼失し、現在の建物はその後に西御門にあった鎌倉尼五山筆頭の太平寺(戦国期に廃寺)の仏殿を移設したもの。
正確な建築年代は不明だが、室町時代中期頃の建立と考えられ、禅宗様(唐様)と呼ばれる建築様式の代表的な建物として有名。
普段は近くまでは立ち入ることができないが、正月、GW、11月初めなどに期間限定で公開される。
・黄梅院(おうばいいん)第十五世夢窓疎石(夢窓国師)の塔所。
本尊:千手観音菩薩。
本堂には、南北朝時代の木造夢窓国師座像と中国の銅造千手観音立像などを安置。
黄梅院のある場所は、北条時宗の三回忌に妻覚山尼が建立した華厳塔があった所で、華厳塔は三間三重塔で、現在の観音堂の背後に建てられていたと考えられている 三重塔は、「円覚寺境内絵図」(国重文)にも描かれている。
「円覚寺華厳塔図」や「円覚寺境内絵図」は11月の宝物風入のときに拝観できる。
・白鷺池境内とは横須賀線の線路を挟んで反対側に位置する池で、びゃくろちと読む。
もともとは円覚寺境内と一体だったが横須賀線開通のために分断され、池自体もこのとき一部埋め立てられて現在の形になったという。
白鷺池の名前は、北条時宗が円覚寺の建立に適した土地を探していた際に鶴岡八幡宮の神霊が白鷺に姿を変えてこの池まで案内したという伝説に由来する。
円覚寺の山門は永禄6年(1563)に焼失した後、開山仏光国師500年遠諱に合わせて大用国師によって天明5年(1785)によって再建されたものだそうです。
現在の屋根は銅板葺ですが、かつては茅葺だったそうです。
「円覚興聖禅寺」の扁額は伏見上皇より賜ったと伝えられているそうです。
円覚寺の門も山門ではなく三門となります。
現在の物は1785年江戸中期に建てられました。
「円覚寺興聖禅寺」の額縁は鎌倉幕府第9代執権北条貞時の時代に伏見上皇より賜った勅筆のものです。
力強く素晴らしい筆です。
立派な三門でいわれは三解脱さんげだつ(空くう・無相むそう・無願むがん)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされています。
山門は三解脱門(空くう・無相むそう・無願むがん)を象徴するといわれ、諸所の煩悩を取り払う門とされる。
山門を通って娑婆世界を断ち切り、清浄な気持ちで仏殿の本尊をお参りしなければならないとされる。
現在の山門は、天明五年(1785)、開山五百年遠諱の年に誠拙周樗せいせつしゅうちょ(大用国師だいゆうこくし 円覚寺第189世)によって再建された。
「円覚寺興聖禅寺」の扁額は、伏見上皇(1265~1317北条貞時の時代)より賜ったもの。
楼上に十一面観音像・十二神将・十六羅漢祀られてあり、毎年6月18日に楼上で観音懺法かんのんせんぽう が行われる。
名前 |
山門(三門) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
北鎌倉駅徒歩0分の訪れやすい禅寺です。
北条氏と縁が深いお寺でもあります。