説明板を読むと、土塁跡が残ってはいそう。
歴史のある古い城で応仁2年(1468)稲葉元塵入道と共に存在を確認できます大永5年(1525)斉藤道三が土岐頼芸に仕えた頃、頼芸は西村勘九郎正利と名乗らせ、軽海西城を与えたとされている永禄3年(1560)池田恒興の家老、片桐俊元が城を築いて住んだが後に池尻村に移ったとあり軽海西城はこの時点で織田方にあったと思われる天正17年(1589)に豊臣秀吉の家臣一柳直末が大垣城から軽海西城に移って6万石を領した天正18年(1590)小田原征伐で一柳直末は戦死し、城は廃城となった現在、円長寺となっており寺の西側に土塁の形跡らしき物がある。
名前 |
軽海西城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.3 |
6万石の城跡としては、殆ど何も残ってはいませんが、説明板を読むと、土塁跡が残ってはいそう。
お寺の裏側の竹林に行きましたが、よく分からず。
でも、この辺りはそこそこの集落であった雰囲気は何となく醸し出しています。