静けさの中に癒やされます。
八代の地の閑静な神社。
周囲より小高い境内で良い雰囲気でした。
由緒ある神社。
地元の氏神様です。
氏子にとってはご利益あり。
テスト前にお参りしてから会場に向かい、結果は三回全て合格でした。
小さな地元の聖域。
旅行する価値はありませんが、バスと間違えられた場合は、直接ターミナルにありますので、乗ってみる価値があります!(原文)Un petit sanctuaire local. Il ne vaut pas le déplacement mais si comme nous vous vous trompez de sens de bus il est directement au terminus doooonc, ça vaut la peine d'aller y faire un petit tour !
静けさの中に癒やされます。
名前 |
方県津神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
方県津神社(かたがたつじんじゃ)の祀神は、絶世の美女この社の祀神は、丹波之河上摩須郎女命(かわかみますのいらつめ)で、伊奈波神社に祀られている、彦多都彦命(別名:丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと/たにはのみちぬしのみこと))の奥方の一人です。
河上摩須郎女は、京丹後七姫伝説の一人とされており、1.乙姫、2.羽衣天女、3.静御前、4.細川ガラシャ、5.小野小町、6.間人皇后などと並ぶ、絶世の美女だと伝えられています。
そのうち2人は伝説上の方なのでよっぽどの美人だったのでしょうね。
河上摩須郎女は、丹波国の豪族河上摩須の娘として生まれました。
当時、丹波の国王として君臨していた丹波道主命の妻となり子をもうけます。
そのうちの一人『日葉酢比売(ひばすひめ)』が垂仁天皇の后となりました。
そのまた息子の大足彦(おおたらしひこ)が12代景行天皇になりました。
ちなみにこの景行天皇の息子が伝説上の英雄、日本武尊(やまとたけるのみこと)であると言われています。
逸話として、丹波道主命と摩須郎女の娘たちが皇后になったことを喜び、久美浜湾の南東にせり出した形で位置する兜山の山頂に『熊野神社』に創建したといわれています。
娘たちがたくさん天皇に嫁いだことで、当時の朝廷と深いつながりができ、大きな勢力を持っていた方です。
河上摩須郎女の 旦那さんである、丹波道主の父親にあたる、日子坐王(ひこいますのみこ/ひこいますのおう『日本書紀』では「彦坐王」)です。
日子坐王は美濃開拓の祖とされ、この地方へ遠征をされ、金属の精錬方法や開拓を行い、この地方に貢献したといいます。
この地方では、それに感謝し、各地の神社に祭神として日子坐王一族をお祀りしています。
彦多都彦命(伊奈波神社)=河上摩須郎女の旦那さん日葉酢比売命(伊奈波神社)=河上摩須郎女の子供五鐘五十瓊敷入彦命(伊奈波神社)=河上摩須郎女の孫妃淳熨斗媛命(金神社)=五鐘五十瓊敷入彦の奥さん市隼雄命(橿森神社)=河上摩須郎女のひ孫擁烈根命(県神社)=河上摩須郎女のひ孫日子坐命墓(ひこいますのみことのはか)は、岐阜県岐阜市岩田西にあります。
この神社に参拝した方は、次に、伊奈波神社の参拝をされることをお勧めします。
美濃開拓の感謝を伝えましょう。