貸し切り状態でゆっくりまわれた。
夏の暑い日に行きました。
入口は看板などがあります。
道中はほとんど木陰です。
階段なども草が生い茂ってるのと朝露と虫とで、半ズボンサンダルは大変でした。
ところどころぬかるんでもいるので、長ズボンと靴で行きましょう。
自然回帰してるので、熊やイノシシの注意看板もありました。
貸し切り状態でゆっくりまわれた。
帰り保存会のおじさんが、珍しい花が咲いていると案内してくれ、城郭以外にも楽しみ方がある事を知った。
鎌倉期に狩野氏が築いたという城で、戦国期には加賀一個一揆と愛知山朝倉氏が奪い合い、織田信長が越前の朝倉義景を亡ぼした後は、織田や豊臣の大名が入り、改修して城の体裁を整えています。
関ヶ原の戦いの際は、豊臣家臣であった山口宗永が西軍に味方し、東軍の前渡と品が率いる二万の軍勢に攻められ、五百の兵で果敢に抵抗するも敗れ、宗永と嫡子の修弘と共に自刃したと伝わっています。
現在では錦城山公園として整備され、馬出し曲輪から本丸に登って、山口宗永の碑に豊臣家に殉じた宗永や修弘を悼み、各曲輪の散策を楽しみました。
城の南に無料駐車場もあり、もちろん入場も無料で、比高65メートルと手頃な運動となります。
虎口は大規模な枡形でもなく、各郭に櫓台や石垣なども見られず、一見豊臣期に機能した城郭には見られないのですが、本丸に一つだけ大規模な櫓台を認めることができます。
規模からして天守台と言ってもおかしくないようなもので、この城郭の見所だと思います。
真冬で雪の日に訪れました。
主要な道は階段の様にしてありますね。
それでも雪が降っていたのでじゅくじゅくしていて滑ります。
早々に引き返そうと、馬洗い池から忠霊塔の裏へ回る道を行きましたが、それがあまり良い選択ではなかった様で、道がぬかるんでいたりフェードアウトしていたりで、少しだけ難儀して帰りました。
やはり帰りは来た道を戻るに限ります。
馬出曲輪跡からは街の景色が見られるはずなのですが、雪なので遠くはあまり見えなかったです。
その先は東屋がありました。
それにしても、雪の日だからか公園の割には人一人も来なかったです。
某PCゲームデフォ城を巡る旅越中から越前ヘ向かう途中の要衝小高い山ながら、しっかりした遺構が残っています。
時間的に全て回りきれませんでしたが、内側を1週。
雨上がりだと泥濘んだ場所が多いので(特に本丸跡と二の丸跡からの下り道)、靴には注意を!案内板が多く、整備はしっかりしてましたが、本丸跡ヘ登る階段に倒木が有りました。
加賀一向一揆の拠点の一つとして有名だが、遺構のほとんどは信長侵攻後のもの。
その際大規模な改修がされたようで三ノ丸、西ノ丸は大きな横堀により分断されています。
城内には馬洗い池という人工池があります。
夏場はとにかく蚊が多いので虫よけなどして登城してた方が良いです。
山口宗永公の子孫に第二航空戦隊司令官、山口多門中将がいる。
稀にイノシシに出会えますが、野生動物は危険です。
絶対に驚かす事はしないでおきましょう。
大聖寺城(だいしょうじじょう)は石川県加賀市に南北朝時代から江戸時代初期まで存在した日本の城(平山城)。
別名は錦城。
跡地は錦城山公園となっており、加賀市の市指定文化財(史跡)に指定されている。
構造標高70m程の錦城山(古城山)に立地していた。
本丸を中心として、尾根上に北の丸、二の丸、西の丸、鐘ヶ丸、東丸の6つの郭が北から連なる連郭式城郭で、谷を挟んだ両側の尾根筋にも郭群が置かれ、全体的には環郭式に近い構造を取っていた2,。
主要な郭には腰郭や土塁や空堀などが併設され、東西約45m・南北約17mの本丸には高さ約4mの鉤形の土塁があった。
また、鐘ヶ丸は東西約100m・南北約45mにおよぶ台形で最大の郭であり、西・南側には長さ約70m、高さ3~4m、幅約3mもの巨大な土塁が残る。
茶室の長流亭は小堀遠州の設計により宝永6年(1709年)に建てられた数寄屋造りの建築で、国の重要文化財に指定されている。
歴史鎌倉時代に狩野氏によって築かれ、その居城となった。
建武2年(1335年)に中先代の乱に呼応した名越時兼が南下してきた際は、加賀国の国人の狩野一党の各氏が大聖寺城でこれを迎撃したという3,。
建武4年(1337年)には、新田義貞に荷担した敷地伊豆守、山岸新左衛門らが津葉清文の守る大聖寺城を攻略している。
その後、戦国時代には日谷城などとともに一向一揆の拠点となっていた。
【大聖寺城-Wikipedia】
大聖寺ひとり散歩コース(4~5時間)JR大聖寺駅→全昌寺→加賀神明宮・白山宮→熊坂川河畔→大聖寺城跡→長流亭→江沼神社→流し舟船乗場→深田久弥文化館→古九谷の杜公園→JR大聖寺駅。
全昌寺平日は貸切状態でゆっくりと拝観できました。
自分好みの五百羅漢をじっくりと探したり、三十三観音像を心行くまで楽しめました。
驚くことに付近の道路は無機質なコンクリートやアスファルトでは無くて、ビリ砂利の洗出しになっていて趣がありました。
加賀神明宮・白山宮鳥居や杉の大木が立派な神社さん。
階段を上がった高台に白山宮があり、とても気持ち良い空気が味わえました。
熊坂川河畔桜満開の時期はとても賑わっていますが、初秋は静かな水音を聴きながら木漏れ日を楽しめました。
大聖寺城跡山全体が公園となっていてお城などの痕跡はありませんでした。
長流亭平日は閉まっていて拝観には連絡が必要なようです。
江沼神社長流亭を含む庭園があり池や苔を楽しむことが出来ます。
地元の方に愛されているようで、平日でも参拝の方を何人も目にしました。
流し舟船乗場大聖寺川の流し舟の乗船場、木々や花も綺麗なところです。
次回は流し舟からの景色を楽しみたいです。
深田久弥文化館2018.8に開館した山の図書室は国内外の本があり、山渓や岳人が創刊からほぼ揃っていて登山の歴史を知ることが出来ました。
素敵なお庭や喫茶店があり、珈琲のとても良い香りが山小屋を思い出しました。
古九谷の杜公園自然の起伏の中に熊坂川の清流と人工物が調和した綺麗な公園です。
夕暮れ時には多くの地元との方が楽しいでいました。
鎌倉末期に築かれていた様で、戦国期には加賀一向一揆の拠点として機能していた様です。
加賀越前の国境に近い事もあってか、しばしば抗争の舞台になった様です。
城郭は本丸を囲む様に曲輪が展開され、本丸と鐘ケ丸周辺の切岸や、本丸虎口などの遺構が見ごたえがあります。
また、各曲輪ごとに説明板も設置されて、見学しやすい環境になっているとゆう印象です。
戦国期 豊臣政権末期になると、大聖寺城主 山口宗永は豊臣方につき、徳川方についた金沢城の前田利長と、大聖寺城にて攻防戦が繰り広げられ、敗れた山口宗永は自刃し落城となっています。
名前 |
大聖寺城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
偉大です。
先人はすごい仕事をしてます。
体験してください。