名前 |
まつ家別邸 吉祥庵 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0761-24-3800 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
5.0 |
安宅の街へ行ってみたいと思い続けて2019/05/12行って来ました。
街並み散策で、(株)北國銀行 安宅吉祥庵と思っていたのですが、いつの間にか、オーナー様が変わられた様ですね。
企業がオーナー様だと、中に入る機会は中々無いと思いますが、入れる機会が出来たと言う事かな?北前船の廻船問屋、米谷家が興した米谷銀行(現北國銀行の第1号支店跡。
茶室としても利用されている。
明治26年建築。
年数回、「花の安宅に着きにけり」と言うイベントが開催され、民家の為、普段は公開されていない清水家、瀬戸家、八田家など旧家の町屋を公開されるようです。
興味のある方は、「花の安宅に着きにけり」を主催されている町民有志でつくる安宅活性化倶楽部が「花の安宅」と言うFace book ページを開いているようですので、チェックされてみては?北前船:江戸時代から明治時代にかけて活躍した主に買積み廻船の名称。
買積み廻船とは商品を預かって運送するのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。
当初は近江商人が主導権を握ってたが、後に船主が主体となり貿易を行うようになった。
上りは対馬海流を遡って、北陸以北の日本海沿岸諸港→関門海峡→瀬戸内海→大坂に向かう航路。
(下りはこの逆)。
西廻り航路の通称でも知られ、後に蝦夷地(北海道・樺太)にまで延長。
近畿地方への水運を利用した物流・人流ルートは、古代から瀬戸内海を経由以外に、日本海側の若狭湾以北の物流、若狭湾以西から対馬海流に乗って来る物流→若狭湾で陸揚げ→琵琶湖→淀川水系で大坂に至る内陸水運ルートも利用されていた。
特に、朝鮮半島からは、海流の無い瀬戸内海を経由するより対馬海流に乗った方が早く畿内に到達できるため軍事的にも重要であった。
しかし、明治維新による封建制の崩壊や電信・郵便の登場は相場の地域的な格差が無くなり、利鞘を稼ぐのは難しくなった。
さらに日本全国に鉄道が敷設されることで国内の輸送は鉄道にシフト、歴史の表舞台から姿を消した。
国重要文化財 旧森家住宅より引用。