稲「裹」に変更を依頼しました。
社名が稲「裏」となっていましたので、稲「裹」に変更を依頼しました。
三代実録に記載のある神社。
元々は稲包山の頂上にあるが、明治になってこの地に元々鎮座していた熊野神社に稲裹神社を合祀したものなので、奥宮と里宮の関係にある。
また四万川の下流にある大宮巌鼓神社もその社名から里宮ではないかという説がある。
貫湯平稲裹神社(ぬくゆだいらいなつつみじんじゃ)主祭神 宇氣母智神 伊邪那岐命 伊邪那美命配祀神 軻遇突智命 素盞嗚命 大山津見命合祀神 大日孁命 品陀和気命 倉稲魂命 菅原道真公 大物主神 崇徳天皇 波迩夜麻毘売神 建御名方神 八坂刀売命 一言主神 大雷神 天照皇大神中之条町指定重要文化財「稲裹神社の懸仏(かけぼとけ)」四万温泉の奥、稲裹山に稲裹神の奥宮がある、三代実録に元慶四年(880)昇叙の記録をもつ国史現在社です。
明治十年(1877)四万貫湯平にある熊野神社に遷宮し、稲裹神社と改称しました。
ここ中之条町は四方を山々に囲まれ、古代から山を信仰の対象とした山岳信仰がありました。
中でも四万川の水源の山である稲包山に対する山岳信仰は厚く、山頂に奥宮、登山口の譲葉(ゆずりは)に中宮、下流に里宮として原町の大宮巌鼓(いわつづみ)神社が祀られています。
そして嘗ては熊野神社だったここでは、昭和四十八年(1973)二面の懸仏が発見され、鎌倉時代と室町時代の作と推定される懸仏は、一方の円盤に熊野三所権現の像、もう一面は蔵王権現の像をつけ、その頃の神仏習合思想の様子が伺われる貴重な物です。
懸仏とは、鏡に擬した銅板に浮彫り状あるいは丸彫りの尊像を装着し、吊り下げるための装置をそなえたものをいい、鏡像より派生したものと考えられています。
山岳信仰と仏教の密教化により派生した修験道の信仰が、持ち運びの容易な懸仏を携えたことにより、全国各地に広がりやすくなったと考えられます。
(「境内案内板」及び、サイト「狛犬見聞録」より)中之条町指定天然記念物「稲裹神社の境内木」稲裹神社の境内木は、ほとんどが樹高40m以上あり、林相もすばらしく、神社の森としても、また巨木としても貴重なものです。
(境内案内板より)「三代実録」と「国史現在社」「日本三大実録」に元慶四年(880)五月二十五日、上野国一之宮の貫前神をはじめ、八社の神々の神位が昇格し、その中に、稲裹地神は正六位上から従五位下君十二等へ昇位したと記してあります。
国史現在社とは、延喜式神名帳が作成された当時(927)すでに存在していましたが、神名帳に記載されていない神社を式外社といい、式外社には、朝廷の勢力範囲外の神社や、独自の勢力を持っていた神社(熊野那智大社など)、また、神仏習合により仏を祀る寺であると認識されていた神社、僧侶が管理をしていた神社(石清水八幡宮など)、正式な社殿を有していなかった神社などが含まれます。
式外社であっても国史にはその名前が見られる神社のことを、特に国史現在社(国史見在社とも)と呼んでいます。
(ブログ「マジカルミステリー・インスタントコーヒー☆」及び「Wik」より)
名前 |
稲裹神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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353号線沿いに稲裹神社の案内板があります。
境内は木々に囲まれていて静かな落ち着いた雰囲気があります。
町指定天然記念物のスギやモミの木は神秘的で、社殿は迫力がありました!