最上三十三観音の参拝でお伺いしました。
10/2(日)今日の2箇所目、五十沢です。
御朱印所からちょっと先になります。
結構な山の階段です。
杖を使わずに行きましたが使った方が良かったか。
若い男性が足取り軽く往来する姿を見て、こちらは息を整えるので、参拝順を譲りました。
小高い山頂の杉木立の中にひっそりと佇んでいます。
堂内に電灯の明かりがなく、それも幻想的でした。
五十沢観音堂の階段は、昔長良の奥行きのある階段で帰りは、気おつけて帰る事です。
最上三十三観音の参拝でお伺いしました。
コロナウィルス感染症の影響で二年間延期されていた霊場御本尊の御開帳(観音堂の観音様)です。
如金山喜覚寺といい浄土真宗のお寺で、観音霊場第二十一番札所になります。
観音堂の中でお勤めをしました、別称で五十沢(いさざわ)観音と呼ばれています。
起源は戦国時代で、加賀の大名金森石見守が戦いに敗れて家老である森又右衛門、加藤惣四郎らとともに逃れてこの地の郷士となった。
この地に住まうようになった金森石見守は、争いが繰り返される世の無常を感じて発心し、京都東本願寺の十三世である宣如上人の門下となり釈浄信と改名して慶長十九年(1614年)三月、金森山の中腹に別当である喜覚寺を開山し併せて観音堂も建立した。
金森家が代々守護仏としてきた慈覚大師作の聖観世音菩薩をこの観音堂の本尊としたという。
御本尊はわずか五センチ程の大きさの聖観世音菩薩立像で、武士の守護仏であったという歴史を裏付ける、兜の前飾りであったという説が残されいる。
元禄年間(1688年~1704年)には山火事に遭いその時の御堂は焼失してしまったが幸いにも御本尊は無事に救い出された。
現在の観音堂は、後の住職である源正坊が再建したものである。
御堂の中には大正十四年に奉納された三十三体の観音像と、秘仏である御本尊の代わりに祀られている木造聖観世音菩薩立像が参拝者を迎えてくれる。
最上33観音HPにある駐車場所若松会館というのがどれかわかりませんでした。
五十沢集落を抜けて間もなく左手に赤い鳥居が見えてきますので、そこです。
路駐するか近くの農道に停めるかだと思います。
御朱印所は集落途中(観音より北側)にある喜覚寺さんです。
のどかな田園風景の中、一つの小高い丘の上から、ご本尊は近隣の方々を見守られてこられたのでしょう。
納札が貼られたお堂の扉を自分で開き、静寂の中で木魚を叩きながら般若心経を唱える、心安らぐ最上33観音巡礼。
名前 |
喜覚寺 五十澤観音 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0237-22-2582 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
御朱印を頂ける喜覚寺さんからちょっと離れた山の中に観音堂があります。
赤い鳥居が目印です。
細い階段を登っていくと御堂があります。
ただ、離れなので電気が通ってません。
夕方など薄暗くなった時は危ないので気をつけてください。
子年御開帳の2022年は朝から夕方まで観音堂は開いていましたが、通常は中に入れるのかはわかりません。