この度参拝させていただき大変嬉しいです。
交通量の多い交差点の近くです、この度参拝させていただき大変嬉しいです。
道路沿いの鳥居をくぐって3~4台は駐車可能、素晴らしいご神木が迎えてくれます、境内は静かで美しく整えられております。
狛犬様が小さい方の一対はとても純朴で可愛らしく、下の一対は動きの有る素晴らしい物でした。
少し涼しくなったからか、参拝を兼ねて散歩される方が多くおられました、「涼しくなりましたね〜」と挨拶を交わし気持ちのよい時を過ごしました。
アクロバティックな狛犬が迎え入れくれる神社でした。
境内は緑に覆われたコンパクトで静かです。
印象的なのが石柱がめり込んだ御神木で、歴史を感じ取れます。
御朱印は2種類有りますが、職員曰く「どちらか選んで」との事。
1回の参拝で1種類のみの対応は初めての経験です。
改めて色々なルールがあるなぁと感じました。
神社へのアクセスは本城駅から徒歩で6分位で着けます。
駐車場は鳥居を潜って直ぐですが広くはありません。
毎年新年初詣でお参りする神社です。
駐車場がもう少し広いと助かります。
歴史を感じさせる境内で、凛とした空気が漂っています。
創建は定かではないようですが、周辺に古墳などが発見されており、ここには何かしらの信仰があったのでは、とのこと。
おそらく、八百万の神々以前の自然信仰が始まりなのではないかと個人的におもっています。
2021年 2月参拝。
通りがかりに 見つけて 立ち寄ってみました❗ 入口から 存在が 凄い御神木‼️圧巻です😍境内は、コンパクトなのですが…原 監督ばりの かわいい狛犬さんも いました❗御朱印を 戴きに来ました❗ちょうど来たときに、出ていく姿を 見かけて…💦 もしや…と思っていたら 的中で…💦社務所で おそるおそるインターホンを鳴らすと 奥様が 出てこられて 書き置きを 戴けました🎵通常と月替わりが ありましたよ❗駐車場も、鳥居を入った所に 止められました🎵
道路から鳥居をくぐって駐車出来ますこじんまりした神社さんですがお手入れがされていて、気持よくお参りできますこんもりとした緑の木々が美しく、階段の樹が曲がりくねり、まるで龍のようで気に入っています階段下の社務所で御朱印を頂きましたが月ごとにスタンプが変わる特別御朱印が始まりました(金額はお気持ちとの事)社務所がお留守の時は、すぐ裏にご自宅があります境内にフクロウの子供がいたとの事で、写真に撮られて挟み紙になっていますが、可愛らしい縁起物のようで素敵です街なかの素敵な神社さんです。
鳥居の前にあるご神木が見事、境内は広くはありませんが、品があります。
左右の狛犬が特徴かな?写メは撮りませんでしたので御朱印でイメージください。
販売、御朱印受付の方や神主さんの対応が素晴らしい。
色々行ってるけど一番じゃなかろうか?御朱印の値段は、こちらの心で決めて下さいと言われてビックリしました。
祭事の時は、駐車場の数が少ないので早めの参拝がオススメです。
趣のある神社です。
こちらに越してきたのでお参りにきました。
去年の6月、境内に1羽の梟が姿を見せたそうで写真を見せて頂きました。
またお参りしたいと思います。
日本武尊・神功皇后伝承地日本武尊は熊襲討伐の際に立ち寄った。
神功皇后もこの地で神祇を奉り武運の長久を祈った。
御祭神日本武尊永禄元年(1558)に野火に遭うまでは西北10町あたりに鎮座していたという事だから現在の光貞台あたりか。
光貞台は住宅街となっているが意外なほど高台となる。
当時は洞の海(洞海湾)を西から見渡す事の出来る好地だったのだろう。
石柱を巻き込みながら支えられる楠も相まって何とも神気に溢れている社である。
『 八 劍 神 社 御 由 緒[御祭神] 日本武尊(紀) 倭健命(記)八劔神社は、本城を本社として付近周辺合わせて十数社をかぞへる。
当神社の御由緒については、「筑前続風土記拾遺筑陽記筑前草鑑記太宰管内誌」にでたり。
伝へられる次の二説がある一、「第十二代景行天皇の御代、(七一年~一三◯年)日本武尊が熊襲征伐の折り、この地に立ち寄られた。
又、神功皇后も、この地で神祇を奉り武運の長久を祈られた。
かかる霊地として、第六十四代円融天皇の貞元、元年丙子(九七六年三月)に、祠を建て日本武尊を奉斎した。
」一、「三河守範頼が、この地に本城を築いた折り、平家追討の戦い安らかなるを祈願するため、下河辺庄司、渋谷庄司、の両名に命じて、尾張(名古屋)熱田神宮より劔大神を勧請して奏祀した。
」【今に至っては、いずれを創祀とするか明らかではないが、ただ、この地に貝塚や多くの古墳が発見されていることから、既に、古代より人々の集落が形成され、又 我が国の神社信仰の形態が皇室の祖先神人格神を祭神として奉祀し五穀豊穣鎮護国家を祈願してきたことからすれば、この地も古い時代から至極当然のことであったと考えられる。
そして、その祠は、源範頼がこの地に本城を築城した際に、御神殿を御造営し、御祭神を勧請したと見るべきであろう。
】即ち、八劔神社の創祀は、貞元元年(九七六年)であったと考えられるが、それより以前に古代の人々が劔大神を祭っていたのではないかと思われる。
{なぜならば、御鎮座一◯◯◯年祭が明治三六年(一九◯三年)二月七日に執行されているからである。
(境内に記念碑あり。
)}昔の社地は、今の社地より西北一◯町ばかりにあり、永禄元年(一五五八年)野火にあい、今処に移す。
又 御神殿は、寛文九年(一六六九年)に御改築し、現在の御神殿は五年がかりの修復御造営で享保元年(一七一六年)に完成している。
年 間 祭 祀歳旦祭 一 月 一日どんど焼祭 一 月十五日春季例大祭 四 月十一日祇園祭 七 月十四日放生会 九 月二四日秋季例大祭 十 月 十日十一日鈴納め祭 十二月十一日』
名前 |
本城八剱神社 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
093-691-3176 |
住所 |
〒807-0801 福岡県北九州市八幡西区本城2丁目1−56 |
関連サイト |
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/yahatanishi/file_0096.html |
評価 |
4.2 |
北九州市八幡西区の国道199号線沿いにある八剱神社。
ご祭神はヤマトタケル(日本武尊)とされてるそうですが、創始の起源が不明だそうです。
ただ、古い時代から祖先神格信仰から神社として信仰されてきたものかと思います。
一の鳥居をくぐり、二の鳥居へと続く参道途中に、大きなクスノキがありますが、石柱を巻き込むようにして立っている姿は初見でも二度見するくらい不思議な楠です。
二の鳥居から真っすぐ石段を上がっていくと拝殿がありますが、この境内でも不思議で、参道の真正面に謎の大きな社っぽいものがありますが、参道が右手に切られた先に八剱神社拝殿が鎮座しています。
謎のお社は何なのか不明なままですが、八剱神社の拝殿~本殿は別にありますので、こちらを参拝する方で正解だと思います。
境内には阿吽狛犬がにらみを利かせていますが、境内入口には立ち姿・逆立ち姿の狛犬もおり、これも1つの楽しみとして見て取れます。
御朱印は社務所不在だったため、今回は見送りになりました。
機会があれば改めて参拝しようと思います。