名前 |
おかよ地蔵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
おかよ地蔵は木小屋口の地蔵とも言った。
北立花町の官有地にある。
昔はかなり繁盛して、相撲や縁日で賑わった。
近くの佐古樋川での水難犠牲者の霊を供養したものかともいう。
また、「ふるさと八坂」には、「享保7年石手川 人柱 大川文蔵4世孫」と彫られた地蔵さんがあるとあり、この地蔵を指すのであろう。
享保6年7月21日(1721)松山城下に大洪水あり、石手川の堤防決壊し流失家屋889軒、死者72人、山崩れ29、220カ所に及ぶ大災害となった。
田畑の被害面積3、714町歩、石高にして35、065石が川成、砂入、汐入、水押によって荒廃したと記されているという。
そのため、享保8年、藩は西条の大川文蔵を召し抱え大工事を遂行させた。
文蔵は石手川の氾濫の原因を、土砂の堆積によって河底の浅くなったことと川幅が広すぎることによると考え、川幅を減じ、河底を深くしようとしたなどと記録されているという。
「人柱 大川文蔵4世孫」というのが事実なら、文蔵が自分の一族を人柱に立てたというのであろう。