3回目接種のために、初めて伺いました。
水口岡山城歴史フォーラムがありました。
あと3回2月まであります。
有名な先生を呼ばれていてわかりやすいので楽しませてもらってます。
水口岡山城は秀吉が造らせた城で東海道当時は伊勢大路を抑えての位置で山からは琵琶湖や八幡山城や佐和山城🏯まで見える位置にあります。
初代城主は中村一氏で甲賀郡滝村出身で、増田長盛、長束正家と五奉行と豊臣政権の重臣が務めた重要な拠点と位置づけられました。
中村一氏は1583年紀州攻めの拠点である、岸和田城🏯の城主になり、1585年の雑賀衆や、根来衆などへの紀州攻めをおこなっています。
この時期までの甲賀は甲賀衆という土豪たちが甲賀郡中惣とよばれる自治組織で運営されていました。
甲賀21家が油日神社や矢川神社などで大事なことを決めていたのです。
1585年秀吉の紀州攻を行う際に甲賀衆も紀州太田城、和歌山駅近くにあり、出水という住所があり、水攻め用の堰が崩れたという、責任をとらされて、甲賀ゆれといいますが、武士の身分を剥奪されました。
こうして甲賀衆を監視のための城🏯が水口岡山城になります。
この城が出来た時点で甲賀中惣もなくなり、大名の支配地になったということになります。
甲賀の一代転換期となりました。
城下町は三筋町と言って三本の道がつくられています。
伊勢大路、東海道が野洲川を渡る石橋から三筋町にわかれまた、町の終わりには、一本の路になります。
三筋町の真ん中の路が東海道です。
また、天守へのビスタがみとめられるそうです。
ビスタとはビスタラインともいい眺望になりますが、城下町も真ん中の道から望むと城の天守がみえるように、城下町の配置を考えられていることをいうそうです。
その後江戸期の家光の時代に京都に来る時の宿泊先として、水口岡山城の城下町に続く西側に水口城を造りました。
中世と近世の城が繋がっている珍しい場所だそうです。
この城の堀のみずは、湧水で賄われている、又V字型の堀の薬研堀になっており、その水が青く輝いていたので、碧水城といわれています。
その近くにあるホールが碧水ホールと名付けられています。
草津から草津線を貴生川駅までいき、近江鉄道🚃で次の駅の水口城南駅で降りて、少しあるいて駅のまえのみちから左にいったらいけますが、かなり遠回りになるので、駅おりて直ぐの細い道、を右側にいき線路沿の路からだと1分くらいでいけます。
駅からは直ぐ前に見えるのが、碧水ホールです。
毎年10月に成ると文化祭が有ります。
お茶席、デコパージュ、生け花、書道、写真、将棋、絵画等が有ります。
遠方から来られる方が沢山居られます。
一度でも良いから見に来て下さいね。
ここの名物は玄関口ホワイエでのコンサート。
借りる側も安価であることから小規模のコンサートがけっこう開かれます。
ある意味『軒先コンサート』的なものですが、けっこう聴衆もそれを楽しんでいるようです。
そこからステップアップしておくホールでコンサート出来ると良いですね。
名前 |
碧水ホール |
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ジャンル |
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電話番号 |
0748-63-2006 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
管理人の方がしっかりしている。